これまで度々そのために宿で問題を惹き起したと自白してゐたが、それは素破らしいものだつた、高く低く、長く短く、うはゞみのやうでもあり、怒濤の如くでもあつた!
呼子とはいゝ地名だ、そこには船へまで出かける娘子軍がゐるさうな。
ゆつくり飲んだ、おかみさんが昨日捕れた鯨肉を一皿喜捨してくれた(昨夜は鰯の刺身を一皿貰つたが)、酒はよくなかつたが、気分がよかつた。
予期した雨となつた、明日はまた雨中行乞か、それはそれとして、かすかな波の音を聞くともなく聞きながら寝た。
(×印から)宿の娘――おばあさんの孫娘がお客の鮮人、人蔘売といつしよになつて家出したといふ、彼女は顔はうつくしいけれど跛足であつた、年頃になつても嫁にゆけない、家にゐるのも心苦しい、そこへその鮮人が泊り合せて、誘ふ水に誘はれたのだ、おばあさんがしみ/″\と話す、あなたは方々をおまはりになるから、きつとどこかでおあひになりませう、おあひになつたら、よく辛棒するやうに、そしてあまり心配しないがよい、着物などは送つてやる、と伝へてくれといふ、私はこゝろよく受け合つた、そして心から彼女に幸あれと祈つた。
この宿のおかみさんもよく働く、家内九人、牛までゐる、そして毎晩四五人のお客だ、それを一人でやつてゐる、昨夜の宿のおかみさんもやり手だつた、四人の小さい子、それだけでも大した苦労なのに、お客さんへもなか/\よくしてくれた。

 一月廿六日[#「一月廿六日」に二重傍線] 曇、雨、晴、行程六里、相知、幡夫屋(二五・中)

折々しぐれるけれど、早く立つて唐津へ急ぐ、うれしいのだ、留置郵便を受取るのだから、――しかも受け取ると、気が沈んでくる、――その憂欝を抑へて行乞する、最初は殆んど所得がなかつたが、だん/\よくなつた。
徳須恵といふ地名は意味がありさうだ、こゝの相知(〔O_chi〕)もおもしろい。
麦が伸びて雲雀が唄つてゐる、もう春だ。
大きな鰯が五十尾六十尾で、たつた十銭とは!
この宿はきたないけれど、きやすくてわるくない、同宿の跛足老人はなか/\練れた人柄で、物事に詳しかつた、土地の事、宿の事をいろ/\教はつた。
この地は幡随院長兵衛の誕生地だ、新らしく分骨を祀つて、堂々たる記念碑が建てゝある、後裔塚本家は酒造業を営んでゐる、酒銘も長兵衛とか権兵衛とかいふ独特のものである、私は無論一杯ひつかけたが、酒そのものは長兵衛でも権兵衛でもないやうだつた、呵々。
第二十八番の札所常安寺は予期を裏切つて詰らない禅寺だつた(お寺の方々は深切だつたけれど)、門前まで納屋がせりこんでゐて、炭坑寺[#「炭坑寺」に傍点]とでもいはうか。
どこを歩いても人間が多い、子供が多過ぎる。
朝早いのは鶏と子供だ。
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・ふりかへる領巾振山はしぐれてゐる
・枯草の長い道がしぐれてきた
・ぐるりとまはつて枯山
・枯山越えてまた枯山
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 一月廿七日[#「一月廿七日」に二重傍線] 雨、曇、晴、行程三里、莇原《アザミバル》、若松屋(二五・中)

同宿の老人が早いので、私も六時前に起きた、九時まで読書、沿道を行乞しながら東へ向ふ、雨はやんだが風がでた、笠を吹きとばすほどである、ヨリ大声でお経をあげながら流して歩く、相当の所得はあつたので安心する。
此地方はどこも炭坑街で何となく騷々しくてうるさい、しかし山また山の姿はうれしい、海を離れて山にはいつたといふ感じはよい。
相知の街に、千里眼人事百般鑑定といふ看板がかけてあつた。
或る商家の前でグラ/\した、近来めづらしい腹立たしさであつた。
けふのおひるは饅頭一つだつた、昨日のそれは飴豆二つだつた(いづれもおせつたい)。
厳木(きうらぎと読む)は山間の小駅だが、街の両側を小川がさう/\と流れてゐた、古風な淋しいなつかしいところだつた。
宿のおかみさんが、ひとりで弾いて唄つて浮かれてゐる、一風変つた女だ、何だか楔が一本足らないやうにも思はれるが。
同宿三人、誰もが儲からない/\といふ。
ぐうたら坊主[#「ぐうたら坊主」に傍点]、どまぐれ坊主[#「どまぐれ坊主」に傍点]、どちらもよい名前だ。
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・山路きて独りごというてゐた
[#ここで字下げ終わり]

 一月廿八日[#「一月廿八日」に二重傍線] 朝焼、そして朝月がある、霜がまつしろだ。

今日一日のあたゝかさうらゝかさは間違ない、早く出立するつもりだつたが、何やかや手間取つて八時過ぎになつた、一里歩いて多久、一時間ばかり行乞、さらに一里歩いて北方、また一時間ばかり行乞、そして錦江へいそぐ、今日は解秋和尚に初相見を約束した日である、まだ遇つた事もなし、寺の名も知らない、それでも、そこらの人々に訊ね、檀家を探して、道筋を教へられ、山寺の広間に落ちついたのは、もう五時近かつた、行程五里、九十四間の自然石段に一喝され、古びた仁王像(千数百年前の作ださうな)に二喝された、土間の大柱(楓ともタブともいふ)に三喝された、そして和尚のあたゝかい歓待にすつかり抱きこまれた。
一見旧知の如し、逢うて直ぐヨタのいひあひこが出来るのだから、他は推して知るべしである。
いかにも禅刹らしい(緑平老はきつと喜ぶだらう)、そしていかにも臨済坊主らしい(それだから臭くないこともない)。
遠慮なしに飲んだ、そして鼾をかいて寝た。
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・父によう似た声が出てくる旅はかなしい
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今日はほんたうにうらゝかだつた、枯葦がびつくりしてそよいでゐた、私のやうに。
フトン薄くてフミンに苦しむ、このあたりはどこの宿でも掛蒲団は一枚(好意でドテラをくれるところもあるが)。
をんな山、女らしくない、いゝ山容だつた。
馬神隧道といふのを通り抜けた、そして山口中学時代、鯖山洞道を通り抜けて帰省した当時を想ひだして涙にむせんだ、もうあの頃の人々はみんな死んでしまつた、祖母も父も、叔父も伯母も、……生き残つてゐるのは、アル中の私だけだ、私はあらゆる意味に於て残骸だ!
此地方は二月一日のお正月だ、お正月が三度来る、新のお正月、旧のお正月、――お正月らしくないお正月が三度も。
共同餅搗は共同風呂と共に村の平和を思はせる。
勝鴉(神功皇后が三韓から持つて帰つたといふ)が啼いて飛ぶのを見た、鵲の一種だらう。
歩く、歩く、死場所を探して、――首くゝる枝のよいのをたづねて!
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飯盛山福泉寺(解秋和尚主董、鍋島家旧別邸)
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山をそのまゝの庭、茅葺の本堂書院庫裏、かすかな水の音、梅の一二本、海まで見える。
猫もゐる、犬もゐる、鶏も飼つてある、お嬢さん二人、もろ/\の声(音といふにはあまりにしづかだ)。
すこし筧の匂ひする山の水の冷たさ、しん/\としみいる山の冷え(薄茶の手前は断はつた)、とにかく、ありがたい一夜だつた。

 一月廿九日[#「一月廿九日」に二重傍線] 曇后晴、行程三里、武雄、油屋(三〇・中)

朝から飲んで、その勢で山越えする、呼吸がはずんで一しほ山気を感じた。
千枚漬はおいしかつた(この町のうどんやで柚子味噌がおいしかつたやうに)。
解秋和尚から眼薬をさしてもらつた(此寺へは随分変り種がやつてくるさうな、私もその一人だらうか、私としては、また寺としても、ふさはしいだらう)。
この寺は和泉式部の出生地、古びた一幅を見せて貰つた(峨山和尚の達磨の一幅はよかつた)。
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故郷に帰る衣の色くちて
  錦のうらやきしま[#「きしま」に傍線]なるらん
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五百年忌供養の五輪石塔が庭内にある。
井特の幽霊の絵も見せてもらつた、それは憎い怨めしい幽霊でなくて、おゝ可愛の幽霊――母性愛を表徴したものださうな。
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・ひかせてうたつてゐる
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こゝの湯――二銭湯――はきたなくて嫌だつたが、西方に峙えてゐる城山――それは今にも倒れさうな低い、繁つた山だ――はわるくない。
うどん、さけ、しやみせん、おしろい、等々、さすがに湯町らしい気分がないでもないが、とにかく不景気。

 一月卅日[#「一月卅日」に二重傍線] 晴、暖、滞在、宿は同前、等々々。

お天気はよし、温泉はあるし、お布施はたつぷり(解秋和尚から、そして緑平老からも)、どまぐれざるをえない。
一浴して一杯、二浴して二杯、そしてまた三浴して三杯だ、百浴百杯、千浴千杯、万浴万杯、八万四千浴八万四千杯の元気なし。
けふいちにちはなまけるつもりだつたが、おもひかへして、午後二時間ばかり行乞。
よき食慾とよき睡眠、そしてよき生[#「生」に「マヽ」の注記]慾とよき浪費、それより外に何物もない!
とにかくルンペンのひとり旅はさみしいね。

 一月卅一日[#「一月卅一日」に二重傍線] 曇、歩行四里、嬉野温泉、朝日屋(三〇・中)

一気にこゝまで来た、行乞三時間。
宿は新湯の傍、なか/\よい、よいだけ客が多いのでうるさい。
飲んだ、たらふく飲んだ、造酒屋が二軒ある、どちらの酒もよろしい、酒銘「一人娘」「虎の児」。
武雄温泉にはあまり好意が持てなかつた、それだけこの温泉には好意が持てる。
湧出量が豊富だ(武雄には自宅温泉はないのにこゝには方々にある)温度も高い、安くて明るい、普通湯は二銭だが、宿から湯札を貰へば一銭だ。
茶の生産地だけあつて、茶畑が多い、茶の花のさみしいこと。
嬉野はうれしいの[#「うれしいの」に傍点](神功皇后のお言葉)。
休みすぎた、だらけた、一句も生れない。
ぐつすり寝た、アルコールと入浴とのおかげで、しかし、もつと、もつと、しつかりしなければな[#「ばな」に「マヽ」の注記]い。

 二月一日[#「二月一日」に二重傍線] 雨、曇、行程四里、千綿《チワタ》(長崎県)、江川屋(三〇・中)

朝風呂はいゝなあと思ふ、殊に温泉だ、しかし私は去らなければならない。
武雄ではあまり滞留したくなかつたけれど、ずる/\と滞留した、こゝでは滞留したいけれど、滞留することが出来ない、ほんに世の中はまゝにならない。
彼杵《ソノギ》(むつかしい読方だ)まで三時[#「時」に「マヽ」の注記]、行乞三時間、また一里歩いてこゝまできたら、降りだしたので泊る、海を見晴らしの静かな宿だ。
今日の道はよかつた、山も海も(久しぶりに海を見た)、何だか気が滅入つて仕方がない、焼酎一杯ひつかけて胡魔化さうとするのがなか/\胡魔化しきれない、さみしくてかなしくて仕方がなかつた。
[#ここから2字下げ]
・寒空の鶏をたゝかはせてゐる
・水音の梅は満開
 牛は重荷を負はされて鈴はりんりん
[#ここで字下げ終わり]
最後の句は此地方の牛を表現してゐると思ふ、鈴音のりん/\は聞いてうれしいが、牛の重荷は見てかなしい。
私はだん/\生活力が消耗してゆくのを感じないではゐられない、老のためか、酒のためか、孤独のためか、行乞のためか――とにかく自分自身の寝床が欲しい、ゆつくり休養したい。
新しい鰯を買つて来て、料理して貰つて飲んだ、うまかつた、うますぎだつた。
前後不覚、過現未を越えて寝た。

 二月二日[#「二月二日」に二重傍線] 雨、曇、晴、四里歩いて、大村町、山口屋(三〇・中)

どうも気分がすぐれない、右足の工合もよろしくない、濡れて歩く、処々行乞する、嫌な事が多い、午後は大村町を辛抱強く行乞した。
大村――西大村といふところは松が多い、桜が多い、人も多い。
軍人のために、在郷人のために、酒屋料理屋も多い。
昨日も今日も飛行機の爆音に閉口する、すまないけれど、早く逃げださなければならない。
此宿はよい、しづかで、しんせつで、――湯屋へいつたがよい湯だつた、今日の疲労を洗ひ流す。
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・街はづれは墓地となる波音
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何だか物哀しくなる、酒も魅力を失つたのか!
あたゝかいことだ、まるで春のやうだ、そゞろに一句があつた。
[#ここから2字下げ]
・あたたかくて旅のあはれが身にしみすぎる
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お互に酒を
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