つゝしみませう。
大村湾はうつくしい、海に沿うていちにち歩いたが、どこもうつくしかつた、海も悪くなあ[#「あ」に「マヽ」の注記]と思ふ、しかし、私としては山を好いてゐる(海は倦いてくるが山は倦かない)。
歩いてゐるうちに、ふと、梅の香が鼻をうつた、そしてそれがまた私をさびしい追憶に誘ふた。――
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梅が香もおもひでのさびしさに
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かういふ月並の一句を書き添へなければならない。

 二月三日[#「二月三日」に二重傍線] 勿体ないお天気、歩けば汗ばむほどのあたゝかさ。

だいぶ気分が軽くなつて行乞しながら諫早へ三里、また行乞、何だか嫌になつて――声も出ないし、足も痛いので――汽車で電車で十返花さんのところまで飛んで来た、来てよかつた、心からの歓待にのび/\とした。
よく飲んでよく話した、留置の郵便物はうれしかつた、殊に俊和尚の贈物はありがたかつた(利休帽、褌、財布、どれも俊和尚の温情そのものだつた)。
けさ、顔を洗ふ水が濁つてゐたのは、旅情をそゝつた、此頃、彼[#「彼」に「マヽ」の注記]かにつけて寂しがる癖になつた、放下着、々々々。
けふの道連れは田舎の老人、彼は田舎医者の集金人だつた、当節は懸取にいつても、なか/\薬代をくれないといふ、折角、頼まれて来たのに、煙草代ほどもないので、先生に申訳ないといふ、いづこもおなじ、不景気々々々。
どこへいつても多いのはヤキイモヤ(夏は氷屋)そして自転車屋(それも修繕専門)。
長崎はよい、おちついた色彩がある、汽笛の響にまでも古典的な、同時に近代的なものがひそんでゐるやうに感じる。
このあたり――大浦といふところにも長崎的特殊性が漂うてゐる、眺望に於て、家並に於て、――石段にも、駄菓子屋にも。
思案橋[#「思案橋」に傍点]といふのはおもしろい、実は電車の札で見たのだが、例の丸山に近い場所にあるさうだ、思切橋[#「思切橋」に傍点]といふのもあつたが道路改修で埋没したさうだ。
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・旅は道づれの不景気話が尽きない
・けふもあたゝかい長崎の水
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飲みすぎたのか、話しすぎたのか、何やら彼やらか、三時がうつても寝られない、あはれむべきかな、白髪のセンチメンタリスト!

 二月四日[#「二月四日」に二重傍線] 曇、雨、長崎見物、今夜も十返花居で。……

夜は句会、敦之、朝雄二句[#「句」に「マヽ」の注記]来会、ほんたうに親しみのある句会だつた、散会は十二時近くなり、それからまだ話したり書いたりして、ぐつすり眠つた、よい一日よい一夜だつた。
友へのたよりに、――長崎よいとこ、まことによいところであります、ことにおなじ道をゆくもののありがたさ、あたゝかい友に案内されて、長崎のよいところばかりを味はゝせていたゞいてをります、今日は唐寺を巡拝して、そしてまた天主堂に礼拝しました、あすは山へ海へ、等々、私には過ぎたモテナシであります、ブルプロを越えた生活とでもいひませうか。――
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   長崎の句として
・ならんであるくに石だゝみすべるほどの雨(途上)
  (だん/″\すべるやうな危険を持つてきた!)
    □
・冬曇の大釜の罅《ヒビ》(崇福寺)
    □
・寺から寺へ蔦かづら(寺町)
    □
・逢うてチヤンポン食べきれない(十返花君に)
    □
・すつかり剥げて布袋は笑ひつゞけてゐる(福済寺)
    □
・冬雨の石階をのぼるサンタマリヤ(大浦天主堂)
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 二月五日[#「二月五日」に二重傍線] 晴、少しばかり寒くなつた。

朝酒をひつかけて出かける、今日は二人で山へ登らうといふのである、ノンキな事だ、ゼイタクな事だ、十返花君は水筒二つを(一つは酒、一つは茶)、私は握飯の包を提げてゐる、甑岩へ、そして帰途は敦之、朝雄の両君をも誘ひ合うて金比羅山を越えて浦上の天主堂を参観した、気障な言葉でいへば、まつたく恵まれた一日だつた、ありがたし、ありがたし。
昨日の記、今日の記は後から書く、とりあへず、今日の句として、――
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・寒い雲がいそぐ(下山)
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 二月六日[#「二月六日」に二重傍線] 陰暦元旦、春が近いといふよりも春が来たやうなお天気である。

今日もたべるに心配はなくて、かへつて飲める喜びがある、無関心を通り越して呆心気分でぶらぶら歩きまはる、九時すぎから三時まへまで(十返花さんは出勤)。
諏訪公園(図書館でたま/\九州新聞を読んで望郷の念に駆られたり、鳩を見て羨ましがつたり、悲しんだり、水筒――正確にいへば酒筒だ――に舌鼓をうつたり……)。
波止場(出船の船[#「船」に「マヽ」の注記]、波音、人声、老弱男女)。
浜ノ町(買ひたいものもないが、買ふ銭もない、たゞ観て[#「観て」に白三角傍点]あるく)。
ノンキの底からサミシサが湧いてくる、いや滲み出てくる。
上から下までみんな借物だ、着物もトンビも下駄も、しかし利休帽は俊和尚のもの、眼鏡だけは私のもの。
別にウインクしたのでもないが、服装が態度が遊覧客らしかつたのだらう、若い売笑婦に呼びかけられた!
長崎の銀座、いちばん賑やかな場所はどこですか、どうゆきますか、と行人に訊ねたら、浜ノ町でしようね、こゝから下つて上つてそして行きなさいと教へられた、石をしきつめた街を上つて下つて、そして下つて上つて、そしてまた上つて下つて、――そこに長崎情調がある、山につきあたつても、或は海べりへ出ても。
[#ここから2字下げ]
・波止場、狂人もゐる(波止場)
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長崎の人々、殊に子供は山登りがうまからうと思ふ、何しろ生れてから、石の上を登つたり下つたりしてゐるのだから!
低い方へゆけば海、高い方へ行けば山、海を埋め立てるか、それはもう余地がない、だから山へ、山の上へ、上へと伸びてゆく、山の家、――それが長崎市街の発展過程だ。
灯火のうつくしさ、灯火の海(東洋では香港につぐ港の美景であるといはれてゐる)。
△二月七日は書き落したから、二月八日の後へ書く。

 二月八日[#「二月八日」に二重傍線] 雨、曇、また雨、どうやら本降らしくなつた。

ひきとめられるのをふりきつて出立した、私はたしかに長崎では遊びすぎた、あんまり優遇されて、かへつて何も出来なかつた、酒、酒、酒、Gさんの父君が内職的に酒を売つてをり、酒好きの私が酒樽の傍に寝かされたとは、何といふ皮肉な因縁だつたらう!
とにもかくにも、長崎よ、さようなら、私は何だか、すまないやうな、放たれたやうな気分で歩いて来た。
Gさんの父君が餞別として、六神丸を下さつた、この六神丸は、いろ/\の意味で、ありがたかつた。
今朝は烟霧[#「烟霧」に傍点]といふものを観た、それは長崎港にふさはしいものだ、街の雑音も必ずしも悪くない。
鎮西三十三所の第二十四番、田結の観音寺に詣でる、つまらないところだつた。
このあたりには雲仙のおとしご[#「おとしご」に傍点]といひたいやうな、小さい円い山が五[#「五」に「マヽ」の注記]つも五つも盛りあがつてゐる、その間を道は上つたり下つたり、右へそれたり左へ曲つたり、うね/\ぐる/\と伸びてゆくのである、だらけたからだにはつらかつたが、悪くはなかつた、しかしずゐぶん労[#「労」に「マヽ」の注記]れた、江ノ浦にも泊らないで、此浦まで歩いて来た、有喜の湊屋(三〇・中)。
有喜近い早見といふ高台からの遠望はよかつた、美しさと気高さとを兼ね持つてゐた、千々岩[#「岩」に「マヽ」の注記]灘を隔てゝ雲仙をまともに見遙かすのである。……
江の浦から早見まで、よい道連れを与へられた、村の有志者とでもいふ部類の人柄らしかつた。
あまり草臥れたので一杯やつた、この一杯はまことに効果百パーセントだつた。
渇いて渇いて、もう歩けなくなつたとき、水の音、水が筧から流れ落ちてゐる、飲む、飲む、腹いつぱい飲む、うまい、うまい、甘露とはまさにこの水だ。
このあたりは陰暦の正月三日、お正月気分が随処に随見せられる、晴着をきて遊ぶ男、女、おばあさん、こども。
長崎から坂を登つて来て登り尽すと、日見墜道がある、それを通り抜けると、すぐ左側の小高い場所に去来の芒塚といふのがある。
[#ここから2字下げ]
  芒塚 去来
君が手もまじるなるべし花薄
・けさはおわかれの卵をすゝる
・トンネルをぬけるより塚があつた(去来芒塚)
・もう転ぶまい道のたんぽゝ
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同宿は遍路坊さん、声よくて程がない、近所の不良老婦人が寄つてきて騒ぎ□□声色身振をする、何しろ八里は十分に歩いたのだら[#「ら」に「マヽ」の注記]、労れた/\睡い/\。

 二月七日[#「二月七日」に二重傍線] (追加)晴、肥ノ岬(脇岬)へ、発動船、徒歩。……

第二十六番の札所の観音寺へ拝登、堂塔は悪くないが、情景はよろしくない、自然はうつくしいが人間が醜いのだ、今日の記は別に書く、今日の句としては、
[#ここから2字下げ]
・明けてくる山の灯の消えてゆく
・大海を汲みあげては洗ふ(船中)
 まへにうしろに海見える草で寝そべる
 岩にならんでおべんたうののこりをひろげる
[#ここで字下げ終わり]

 二月九日[#「二月九日」に二重傍線] 風雨、とても動けないから休養、宿は同前。

お天気がドマグレたから人間もドマグレた、朝からひつかけて与太話に時間をつぶした。

[#ここから1字下げ、折り返して6字下げ]
二月十日[#「二月十日」に二重傍線] まだ風雨がつゞいてゐるけれど出立する、途中|千々石《チヾイワ》で泊るつもりだつたが、宿といふ宿で断られつゞけたので、一杯元気でこゝまで来た、行程五里、小浜町、永喜屋(二五・中)
[#ここで字下げ終わり]

千々岩は橘中佐の出生地、海を見遙かす景勝台に銅像が建立されてゐる。
或る店頭で、井上前蔵相が暗殺された新聞記事を読んだ、日本人は激し易くて困る。……
此宿は評判がよくない、朝も晩も塩辛い豆腐汁を食べさせる、しかし夜具は割合に清潔だし(敷布も枕掛も洗濯したばかりのをくれた)、それに、温泉に行けて相客がないのがよい、たつた一人で湯に入つて来て、のんきに読んでゐられる。
こゝの湯は熱くて量も多い、浴びて心地よく、飲んでもうまい、すべて本田家の個人所有である。
海も山も家も、すべてが温泉中心である、雲仙を背景としてゐる、海の青さ、湯烟の白さ。
凍豆腐[#「凍豆腐」に傍点]ばかりを見せつけられる、さすがに雲仙名物だ、外に湯せんべい。

 二月十一日[#「二月十一日」に二重傍線] 快晴、小浜町行乞、宿は同前。

日本晴、朝湯、行乞四時間、竹輪で三杯。
水の豊富なのはうれしい、そしてうまい、栓をひねつたまゝにしていつも溢れて流れてゐる、そこにもこゝにも。
よい一日よい一夜だつた。

[#ここから1字下げ、折り返して6字下げ]
二月十二日[#「二月十二日」に二重傍線] けふも日本晴、まるで春、行程五里、海ぞひのうつくしい道だつた、加津佐町、太田屋(三〇・中)
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此町は予想しない場所だつた、町としても風景としてもよい、海岸一帯、岩戸山、等、等。
途中、折々榕樹を見出した、また唐茄子の赤い実が眼についた。
△水月山円通寺跡、大智禅師墓碑、そしてキリシタン墓碑、コレジヨ(キリシタン学校)跡もある。

 二月十三日[#「二月十三日」に二重傍線]

朝の二時間行乞、それから、あちらでたづね、こちらでたづねて、水月山円通寺跡の丘に登りついた、麦畑、桑畑、そこに六百年のタイムが流れたのだ、やうやくにして大智禅師の墓所を訊ねあてる、石を積みあげて瓦をしいて、堂か、小屋か、たゞの楠の一本がゆうぜんと立つてゐる、円通寺再興といふ岩戸山巌吼庵に詣でる、ナマクサ、ナマクサ、ナマクサマンダー。……
歩いてゐるうちにもう口ノ津だ、口ノ津は昔風の港町らしく、ちんまりとまとまつてゐる、ちよんびり行乞、朝日屋(三〇・中)、同宿は鮮人の櫛売
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