の銅貨は泣くだらうけれど)
どこへ行つても日本の春は、殊に南国の春は美しい、美しすぎるほど美しい。
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海から五月の風が日の丸をゆする
生れた土のからたちが咲いてゐるよ
旅の人としふるさとの言葉をきいてゐる(再録)
露でびつしより汗でびつしより
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五月五日[#「五月五日」に二重傍線] 雨、破合羽を着て一路、白船居へ――。
埴生――厚狭――舟木――厚東――嘉川――八里に近い悪路をひたむきに急いだ、降る吹くは問題ぢやない、こゝまで来ると、がむしやらに逢ひたくなる、逢はなくてはおちつけない、逢はずにはおかない、といふのが私の性分だから仕方がない、嘉川から汽車に乗る、逢つた、逢つた、奥様が、どうぞお風呂へといはれるのをさえぎつて話しつゞける、何しろ四年振りである。――
今日ほど途中いろ/\の事を考へたことはない、二十数年前が映画のやうにおもひだされた、中学時代に修学旅行で歩いた道ではないか、伯母が妹が友が住んでゐる道ではないか、少年青年壮年を過ごした道ではないか(別に書く)。
峠を四つ越えた、厚東から嘉川への山路はよかつた、僧都の響、国界石の色、山の池、松並木などは忘れられない。
雨がふつても風がふいても、けふも好日だつた。
端午、さうだ、端午のおもひでが私を一層感傷的にした。
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・鉄鉢へ霰(改作)
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余談として一、二。――
関門風景はよい、そこに鮮人ルンペンを配さなければなるまい。
道程を訊ねて、適切を[#「を」に「マヽ」の注記]答を与へる人はめつたにない、爺さんはたいがい正確である、彼は昔、歩いてゐるから。
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雨の朝から夫婦喧嘩だ(安宿)
・あざみあざやかにあさのあめあがり
・誰にも逢はない水音のおちてくる
・うつむいて石ころばかり
いそいで踏みつぶすまいぞ蛙の子
ぬかるみで、先生お早うございます
・右は上方道とある藤の花
ふつたりやんだり歩く外ない
降り吹く国界の石
ほどよう苔むした石の国界
どしやぶりのお地蔵さん
・穂麦、おもひでのうごきやう
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話しても話しても話しつきない、千鳥がなく、千鳥だよ、千鳥だね、といつてはまた話しつゞける。
長州特有のちしやもみ[#「ちしやもみ」に傍点](苣膾)はおいしかつた、生れた土地そのものに触れたやうな気がした、ありがたい、清子さんにあつく御礼を申上げる。
五月六日[#「五月六日」に二重傍線] 曇、后晴、ふつてもふいてもよろしい白船居。
悠々として一日一夜を楽しんだ、洗濯、歓談、読書、静思、そして夜は俳句会へ。
糞ツ南無阿弥陀仏の話はよかつた、その『糞ツ』は全心全身の声だ、合掌して頂戴した。
句を拾ふ――こんな気持にさへなつた、街から海へ、海から森へ、森から家へ。――
棕櫚竹を伐つて貰ふ、それは記念の錫杖となる。
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石があつて松があつて、そして密[#「密」に「マヽ」の注記]柑があつて(白船居)
どうやら霽れさうな松のみどり
沖から白帆の霽れてくる
埋立地のそここゝ咲いてゐる
頬かむりして夏めく風に
そよいでる棕櫚竹の一本を伐る
西瓜とパヽイヤとさて何を添へようか
(白船居)
春蘭そうして新聞
むつまじく白髪となつてゐられる
□
星も見えない旅をつゞけてゐる
□
・岩へふんどし干してをいて
・若葉のしづくで笠のしづくで
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よく話した、よく飲んだ、よく飲んだ、よく話した、そしてぐつすり寝た。
五月七日[#「五月七日」に二重傍線] 晴、行程二里、福川、表具屋(三〇・上)
ほがらかに眼はさめたのだが、句会で饒舌りすぎ、夜中飲みすぎたので、どこかにほがらかになりきれないものがないでもない。
さう/\として出立する、逢うてうれしさ、別れのつらさである、友、友の妻、友の子、すべてに幸福あれ。
富田町行乞(そこは農平老の故郷だ)そして富田よいとこと思つた、行乞相は満点、いつもこんなだと申分ない。
けさ、立ちぎはの一杯二杯はうれしかつた、白船老の奥さんは緑平老の奥さんと好一対だ。
こゝまで来ると、S君の事が痛切に考へられる、S君よ健在なれ、私は君の故郷を見遙かしながら感慨無量、人生の浮沈を今更のやうにしみ/″\感じた。
此宿は飴屋の爺さんに教へられたのだが、しづかできれいで、気持よく読んだり書いたりすることが出来る、それにしても私はいよ/\一人になつた。
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・バスが藤の花持つてきてくれた
[#ここで字下げ終わり]
五月八日[#「五月八日」に二重傍線] 雨、しようことなしの滞在、宿は同前。
終日読書静観、ゲルトがないと坊主らしくなる。
同宿四人、みんな間[#「間」に「マヽ」の注記]師だ、間師はそれ/″\間師らしい哲学を持つてゐる、話してもなか/\おもしろい、間師同志の話は一層おもしろい(昨日今日当地方の春祭だから、それをあてこんで来たものらしい)。
痔がいたむ、酒をつゝしみませう。
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・ふるさとの夢から覚めてふるさとの雨
入川汐みちて出てゆく船
窓が夕映の山を持つた
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この宿のおかみさんはとても[#「とても」に傍点]醜婦だ、それだけ好意が持てた、愛嬌はないが綺麗好きだから嬉しい。
世間する[#「世間する」に傍点]、といふ言葉は意味ふかい、哲学する[#「哲学する」に傍点]といふ言葉のやうに。
五月九日[#「五月九日」に二重傍線] 曇、歩いて三里、汽車で五里、樹明居(小郡)
文字通りの一文なし、といふ訳で、富田、戸田、富海行乞、駅前の土産物店で米を買うていたゞいて小郡までの汽車賃をこしらへて樹明居へ、因縁があつて逢へた、逢ふてうれしかつた、逢ふだけの人間だから。
街の家で飲んで話した、呂竹、冬坊、俊の三君にも逢つた、呂竹居に泊る、樹明君もいつしよに。
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街は祭の、世間師泣かせの雨がふる(福川)
霽れるより船いつぱいの帆を張つた
やつとお天気になり金魚、金魚
□
晴れて鋭い故郷の山を見直す(防府)
育ててくれた野は山は若葉
車窓《マド》から、妹の家は若葉してゐる
[#ここで字下げ終わり]
戸田ではS君に逢ひたくてたまらなかつた、君は没落して大連にゐるのに。
椿峠で二人連れのルンペンに逢つた、ルンペンらしいルンペンだつた。
今日の行乞相は九十点以上。
防府を過ぎる時はほんたうに感慨無量だつた。
樹明居は好きになつた、樹明君が好きになつたやうに。
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柿若葉その家をたづねあてた(樹明居)
逢へたゆふべの椿ちりをへてゐる
地肌あらはなたそがれの道で
こんやはここで寝る鉄瓶の鳴る(呂竹居)
壁に影する藺の活けられて
・ふるさとの夜がふかいふるさとの夢
すゞめがおぢいさんがもうおきた
・けさの風を入れる
□
赤いのは楓です(即興追加)
・水音のクローバーをしく
身にせまり啼くは鴉
また鴉がなく旅人われに
[#ここで字下げ終わり]
五月十日[#「五月十日」に二重傍線] 晴、二里ばかり歩いて三里は自動車、伊東宅(大田)
樹明君がどうでも大田までいつしよに行くとの事、職務妨害はいけないと思つたが(君は農学校勤務)、ちつとも妨害にはならないといはれるので、一杯機嫌で伊東君の宅へころげこんだ、幾年ぶりの再会か、うれしかつた。
街の家でまた飲む、三人とも酒豪ではないが、酒徒であることに間違はない、例によつて例の如く飲みすぎる、饒舌りすぎる。
葉山葵はおいしかつた、苣《チシヤ》膾はなつかしかつた。
五月十一日[#「五月十一日」に二重傍線] 十二日 十三日 十四日 十五日
酒、酒、酒、酒、酒、……遊びすぎた、安易になりすぎた、友情に甘えすぎた、伊東君の生活を紊したのが、殊に奥さんを悲しませたのは悪かつた、無論、私自身の生活気分はメチヤクチヤとなつた。……
いよ/\十五日の夕方、大田から一里ばかりの山村、絵堂まで送られて歩いた(このあたりは維新役の戦跡が多い、鍾乳洞も多い)。
アルコールの力を借つて睡る。
秋吉台の蕨狩は死ぬるまで忘れまい。
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バスを待ちわびてゐる藤の花(小郡から大田へ)
曲つて曲る青葉若葉( 〃 )
ぎつしり乗り合つて草青々( 〃 )
□
苺ほつ/\花つけてゐた(伊東君に)
つゝましく金盞花二三りん( 〃 )
襁褓干しかけてある茱萸も花持つ( 〃 )
逢うてうれしい音の中( 〃 )
□
鳴いてくれたか青蛙(或る旗亭にて)
葉桜となつて水に影ある( 〃 )
たそがれる石燈籠の( 〃 )
□
きんぽうげ、むかしの友とあるく
蔦をははせて存らへてをる
□
・山ふところで桐の花
・青草に寝ころんで青空がある
咲いてかさなつて花草二株
□
・別れて橋を渡る
・青葉の心なぐさまない
[#ここで字下げ終わり]
しつかりしろ、と私は私自身に叫ぶ外なかつた、あゝ。
[#地付き]――赤郷絵堂、三島屋(三〇・中)。
五月十六日[#「五月十六日」に二重傍線] 晴、行程四里、三隅宗頭、宮内屋(二五・上)
すつかり初夏風景となつた、歩くには暑い、行乞するには懶い、一日も早く嬉野温泉に草庵を結ばう。
けふの道はよい道だつた、こんやの宿はよい宿だ。
花だらけ、水だらけ、花がうつくしい、水がうまい(酒はもう苦くなつた)。
[#ここから2字下げ]
初夏の水たたへてゐる
雲がない花の散らうとしてゐる
柿の若葉が見えるところで寝ころぶ
けふのみちも花だらけ
・わらや一つ石楠花を持つ
[#ここで字下げ終わり]
途上で、蛇が蛙を呑まうとしてゐるのを見た、犬養首相暗殺のニユースを聞かされた。
五月十七日[#「五月十七日」に二重傍線] 十八日 十九日 降つたり吹いたり晴れたり、同じ宿で。
仏罰覿面、痔がいたんで歩けないので休養、宿の人々がまたよく休養させてくれる、南無――。
同宿の同行はうれしい老人だつた、酒好きで、不幸で、そして乞食だ!
何といふ山のうつくしさだらう、このあたりに草庵を結ばうかと思つたほどのうつくしさだつた。
終日黙想、労れたら寝た、倦いたら読んだ、曰く、講談本、――新撰組、相馬大作、等、等、等。
自動車パンク、そしてガソリン発火、こんな山村にもこんな事件が起つた、そして狂人、そして死人。……
晴、風、そして雨、それがホントウだ。
またこゝで、一皮脱ぎました、たしかに一皮だけは。
五月廿日[#「五月廿日」に二重傍線] 曇、行程四里、正明市、かぎや(三〇・中)
いや/\歩いて、いや/\ホイトウ、仙崎町三時間、正明市二時間、飯、米、煙、そしてそれだけ。
此宿の主人は旧知だつた、彼は怜悧な世間師だつた、本職は研屋だけれど、何でもやれる男だ、江戸児だからアツサリしてゐる、おもしろいね。
同宿六人、みんなおもしろい、あゝおもしろのうきよかな[#「あゝおもしろのうきよかな」に傍点]、蛙がゲロ/\人間ウロ/\。
空即空[#「空即空」に傍点]、色是色[#「色是色」に傍点]、――道元禅師の御前ではほんたうに頭がさがる、――日本に於ける最も純な、貴族的日本人[#「貴族的日本人」に傍点]、その一人はたしかに永平老古仏。
こゝで得ればかなたで失ふ、一が手に入れば二は無くなる、彼か彼女か、逢茶喫茶、ひもぢうなつたらお茶漬でもあげませうか、それがほんたうだ、それでたくさんだ、一をたゞ一をつかめば一切成仏、即身即仏、非心非仏。
[#ここから2字下げ]
こんやの宿も燕を泊めてゐる
・ふるさとの夜となれば蛙の合唱
[#ここで字下げ終わり]
初めて逢うた樹明君、久しぶりに逢うた敬治君、友はよいかな、うれしいかな、ありがたいかな、もつたいないかな、昨日今日、こんなにノンキで生きてゐるのはみんな友情の賜物である
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