、合掌。

 五月廿一日[#「五月廿一日」に二重傍線] 曇后雨、行程六里、粟野、村尾屋(三〇・中)

今にも降りだしさうだけれど休めないやうになつてゐるから出かける、脱肛の出血をおさへつけてあるく。
古市、人丸といふやうな村の街を行乞する、ホイトウはつらいね、といつたところで、さみしいねえひとり旅は。
行乞相はまさに落第だつた、昨日のそれは十分及第だつたのに(それだけ今日はいら/\してゐた)。
今日の道はよかつた、丘また丘、むせるやうな若葉のかをり、ことに農家をめぐる密柑のかをり。
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 おどつてころんで仔犬の若草
・ふるさとの言葉のなかにすわる
 密柑の花がこぼれる/\井戸のふた
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今日はよく声が出た、音吐朗々ではないけれど、私自身の声としてはこのぐらゐのものだらうか。
同宿三人、何といふ善良な人だらう、家のない人間は、妻も子も持たない人間は善良々々。
この土地もこの宿も悪くない、昨日は三杯飲んだから、今日は飲まないつもりだつたら、やつぱり一杯だけは飲まずにはゐられなかつた。
まさに、蚤のシーズン[#「蚤のシーズン」に傍点]だ、彼等はスポーツマンだ。
故郷の言葉を、旅人として、聴いてゐるうちにいつとなく誘ひ入れられて、自分もまた故郷の言葉で話しこんでゐた。
油谷湾――此附近――は美しい風景だ、近く第一艦隊が入港碇泊するさうだ。
今日の昼食は豆腐屋で豆腐を食べた、若い主人公は熊本で失敗して来たといふ、そこで私独特の処世哲学を説いてあげた。
此宿の婆さんはしたゝかもの[#「したゝかもの」に傍点]らしい、また色気があるらしい、それだけ元気があり悪気がある。
どうも夢を見て困る、夢は煩悩の反影だ、夢の中でもまだ泣いたり腹立てたりしている。……

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五月廿二日[#「五月廿二日」に二重傍線] あぶないお天気だけれど休めない、行乞しつゝ四里は辛かつた、身心の衰弱を感じる、特牛《コツトイ》港、三国屋(三〇・中)
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此宿はおもしろい、遊廓(といつても四五軒に過ぎないが)の中にある、しかも巡査駐在所の前に。
山、山、山、青葉、青葉、青葉。
今日の行乞相はまづ及第、所得はあまりよくない。
棕櫚竹の※[#「てへん+主」、第3水準1−84−73]杖はうれしい、白船老はなつかしい。
附野(津々野)のお薬師さまにまゐる、景勝の地、参拝者もかなりあるらしい。
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けふは霰にたゝかれてゐる(改作)
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 五月廿三日[#「五月廿三日」に二重傍線] 晴、行程六里、小串町、むし湯( ・ )

久しぶりの快晴、身心も軽快、どし/\歩く、久玉《クタマ》、二見、湯玉といふところを行乞、小串まで来て宿をさがしあてたが、明日は市が立つので満員で断られる、教へられて、この蒸湯へ来た、事情を話して、やつと泊めて貰ふ、泊つて見れば却つて面白い、生れて初めて蒸湯といふものへはいる、とても我慢が出来なかつた。
今日の特種として、もう一つ書き添へなければならない、それは久玉でお祭の御馳走を頂戴したことである。
今日の行乞相も及第、所得は優等だつた。
旅の眼覚の窓をあけたら、青葉若葉に朝月があつた。
このあたりの海岸は日本的風景。
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 波音のお念仏がきこえる
・玄海の白波へ幟へんぽん
・向きあつておしやべりの豆をむぐ
    □
・旅のつかれの夕月が出てゐる
                (改作追加)
・焼芋をつゝんでくれた号外も読む
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蚤と蚊と煩悩に責められて、ちつとも睡れなかつた、千鳥が鳴くのを聞いたが句にはならなかつた。……
先日からいつも同宿するお遍路さん(同行といふべきだらうか)、逢ふたびに、口をひらけば、いくら貰つた、どこで御馳走になつた、何を食べた、いくら残つた、等々ばかりだ、あゝあゝお修行[#「お修行」に傍点]はしたくないものだ、いつとなくみんな乞食根性になつてしまふ!

 五月廿四日[#「五月廿四日」に二重傍線] 晴、行程わづかに一里、川棚温泉、桜屋(四〇・中)

すつかり夏になつた、睡眠不足でも身心は十分だ、小串町行乞、泊つて食べて、そしてちよつぽり飲むだけはいたゞいた。
川棚温泉――土地はよろしいが温泉はよろしくない(嬉野に比較して)、人間もよろしくないらしい、銭湯の三銭は正当だけれど、剃髪料の三十五銭はダンゼン高い。
妙青寺(曹洞宗)拝登、荒廃々々、三恵寺拝登(真言宗)、子供が三人遊んでゐた、房守さんの声も聞える、山寺としてはいゝところだが。――
歩いて、日本は松の国[#「日本は松の国」に傍点]であると思ふ。
新緑郷――鉄道省の宣伝ビラの文句だがいゝ言葉だ――だ、密柑の里だ、あの甘酸つぱい匂ひは少年の夢そのものだ。
松原の、松のないところは月草がいちめんに咲いてゐた、月草は何と日本的のやさしさだらう。
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・ふるさとはみかんのはなのにほふとき
・若葉かげよい顔のお地蔵さま
 初夏の坊主頭で歩く
 歩くところ花の匂ふところ
    □
・コドモが泣いてハナが咲いてゐた
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 五月廿五日 廿六日[#「五月廿五日 廿六日」に二重傍線] 雨、風、晴、発熱休養、宿は同前。

とても動けないので、しようことなしに休養する、年はとりたくないものだ、としみ/″\思ふ。
終日終夜、寝そべつて、並べてある修養全集を片端から読みつゞける、それはあまりに講談社的だけれど。――
病んで三日間動けなかつたといふことが、私をして此地に安住の決心を固めさせた、世の中の事は、人生の事は何がどうなるか解るものぢやない、これもいはゆる因縁時節[#「因縁時節」に傍点]か。
嬉野と川棚とを比べて、前者は温泉に於て優り、後者は地形に於て申分がない、嬉野は視野が広すぎる、川棚は山裾に丘陵をめぐらして、私の最も好きな風景である。
とにかく、私は死場所[#「死場所」に傍点]をこゝにこしらへよう。

 五月廿七日[#「五月廿七日」に二重傍線] 晴、行程七里、安岡町行乞、下関、岩国屋(三〇・中)

ぢつとしてはゐられないので出発する、宿料が足らないので袈裟を預けて置く、身心鈍重、やうやく夕暮の下関に着いた。
久しぶりに地橙孫君を訪ねて歓談する、君はいつも温かい人だ、逢ふたびに、人格が磨かれつゝあることを感じる。
夜更けてから馴染の宿に落ちつく、今夜は地橙孫君の供養によつて飲みすぎた、安価な自分が嫌になる。……

 五月廿八日[#「五月廿八日」に二重傍線] 晴、船と電車、酒と魚、八幡市、星城子居。

星城子君の歓待は恐縮するほどだつた、先日来の身心不調で、御馳走が食べられないで困つた、好きな酒さへ飲めなかつた、この罰あたりめ! と自分で自分を憫れんだ。
夜、いつしよに仙波さんを訪ねる、こゝでも懇ろにもてなされた、お布施までいたゞいた。
葉ざくら、葉ざくら、友のなさけが身にしみる。
工藤君からハガキをうけとつたのはうれしかつた、伊東君からも、国森君からも。
私は、私のやうなものが、こんなにしてもらつていゝのだらうか、と考へずにはゐられない。
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   門司埠頭凱旋兵
・生きて還つてきた空の飛行機低う
    □
・芭蕉二株青い雨(追加)
 星がまたたく草に寝る
    □
・かたい手を握りしめる
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 五月廿九日[#「五月廿九日」に二重傍線] 晴、電車と汽車で緑平居へ、葉ざくらの宿。

朝から四有三居を襲うて饗応を強要した。
緑平老はあまりに温かい、そつけないだけそれだけしんせつだ、友の中の友である。
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水を渡つて女買ひに行く(添加)
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夕方、連れ立つて散歩する、ボタ山のこゝそこから煙が出てゐる、湯が流れてくる、まるで火山の感じである、荒涼落漠の気にうたれる。
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・ボタ山へ月見草咲きつゞき
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 五月三十日[#「五月三十日」に二重傍線] 晴、行程五里、高津尾といふ山村、祝出屋(三〇・中)

早く起きて別れる、そして川棚へ急ぐ、労れて途中で泊る、この宿はほんたうにしづかだ、山の宿の空気を満喫する。
例の後援会の成績はあまり良くないけれど、それでも草庵だけは結べさうなので、いよ/\川棚温泉に落ちつくことになつた、緑平老の諒解を得たから、一日も早く土地を借りてバラツクを建てなければならない、フレイ、フレイ、サントウカ、バンザアイ!
近来とかく身心不調、酒も苦くなつた、――覚醒せずにはゐられない今が来たのである。
しつかり生きなければならない、嘘の多い、悔の断えない生き方にはもう堪へられなくなつた。
酒をつつしまなければならない、酒を飲む[#「飲む」に傍点]ことから酒を味ふ[#「味ふ」に傍点]方へ向はなければならない、ほんたうにうまい酒ありがたい酒[#「うまい酒ありがたい酒」に傍点]をいたゞかなければならないのである。
伊東君に手紙をだして、私の衷情を吐露しつゝ、お互に真実をつかまうと誓約した。
少し飲んでよく寝た。
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 山の家のラヂオこんがらがつたまゝ
・こゝにも畑があつて葱坊主(再録)
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五月三十一日[#「五月三十一日」に二重傍線] 曇が雨となり風となつた、小倉まで三里、下関から風雨の四里を吉見まで歩いた、関門通有のシケで、全身びしよぬれになつて、やつと宿についた、石風呂があるので石風呂屋といふ、子供が多いので騷がしいけれど、おかみさんもおばあさんもしんせつなので居心がよい(三〇・中)
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昨夜の宿は予想したほどよくなかつた(水だけは、筧から流れてくる水だけはよかつた)、しかし、期待したやうに山ほとゝぎすを聴くことが出来たのはうれしかつた。
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 ほつかり眼ざめて山ほとゝぎす
・ほとゝぎすしきりに啼くやほとゝぎす
・あかつきの火の燃えさかる
    □
・ふたゝび渡る関門は雨
・ぬれてうつくしいバナナをねぎるな
    □
・シケの石風呂へはいりこむ
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石風呂[#「石風呂」に傍点]は防長特有のものではあるまいか、その野人趣味を興ふかく思ふ。
ノミ、シラミ、アメ、カゼに責められて、なか/\寝つかれなかつた、落ちついて澄んでゆく自分を見詰めつゞけた。
長かつた夜が白みかゝつてきた、あかつきの声が心の中から響く、生活一新の風が吹きだした。
とにもかくにも、昨日までの自分を捨てゝしまへ、たゞ放下着[#「放下着」に傍点]!



底本:「山頭火全集 第三巻」春陽堂書店
   1986(昭和61)年5月25日第1刷発行
   1989(平成元)年3月20日第4刷
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
※「騷」と「騒」の混在は底本通りにしました。
入力:さくらんぼ
校正:門田裕志、小林繁雄
2008年3月20日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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