同前。

雲雀の唄(飼鳥)で眼が覚めた、ほがらかな気分である、しかし行乞したいほどではない、といつて毎日遊んではゐられないので(戸畑、八幡、小倉では行乞しなかつた、今日が五日ぶりで)五時間行乞、行乞相は悪くなかつた、所得も、世間師連中が取沙汰するほど悪くもなかつた。
朝のお汁で山椒の芽を鑑賞した。
花売野菜売の女群が通る、通る。
午後はまつたく春日和だつた。
このあたりを勘六といふ、面白い地名である、そして安宿の多いのには驚ろいた、三年ぶりに歩いてみる、料理屋などの経営難から、木賃宿の看板をぶらさげてゐるのが多い、不景気、不景気、安宿にも客が少いのである、安宿がかたまつたゐるのは、九州では、博多の出来町、久留米の六軒屋、そしてこの勘六だらう。
遠賀川の河床はいゝと思つた、青草の上で、放牧の牛がのそり/\遊んでゐる、――旅人の眼にふさはしい。
洗濯したり、整理したり、裁縫したり、身のまはりをきれいにする、男やもめに蛆がわく、虱がぬくいので、のそ/\這ひだして困りますね!
夜は三杯機嫌で雲心寺の和尚を攻撃した、酒、酒、そして酒、酒よりも和尚はよかつた、席上ルンペン画家の話も忘れない、昆布一罎[#「罎」に「マヽ」の注記]いたゞいた。
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ルンペンとして二人の唄□
あんまりうつくしいチユーリツプ枯れた
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 四月廿七日[#「四月廿七日」に二重傍線] 雨、后曇后雨、後藤寺町、朝日屋(二五・中)

雨ではあるし、酔はさめないし、逢ひたくはあるし、――とても歩いてなんかゐられないので、急いで汽車で緑平居へ、あゝ緑平老、そして緑平老妻!
泊るつもりだつたけれど、緑平老出張となつたので私もこゝまで出張した。
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 撫《ナ》でゝ見て美しい芽だ
・牛が遊んでゐるところで遊ぶ
   緑平居
・ボタ山なつかしい雨となつた
・雨のボタ山がならんでゐる
 香春をまともにまた逢へた
・枝をさしのべて葉ざくら
・草もそのまゝ咲いてゐる
 唐豆ヤタラに咲かせてゐる
・そつけなく別れてゆく草の道
・別れてきて水に沿うて下る
    □
・やつと芽ぶいたは何の木ぞ
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 四月廿八日[#「四月廿八日」に二重傍線] 雨、休養、終日読書、宿は同前、なか/\よい、もつと掃除が行届くといゝのだが。

悠然として春雨を眺めてゐられる、それも緑平老のおかげだ、夜はあんまり徒然だから活動見物、日活映画のあまいものだつたが、十銭はとにかく安い。
同宿数人、その中の二人は骨董仲買人、気色が変つてゐて多少の興味をひいた。
ちよんびり焼酎を飲んだら腹工合があやしくなつた、もう焼酎には懲りた、焼酎との絶縁が私の生活改善の第一歩だ。
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・ぬかるみをふんできてふるさとのうた
・炭坑のまうへきれいな星
 字幕消えてうまさうな水が流れる流れる(映画)
 梅若葉柿若葉そして何若葉
 明日は明日の事にして寝るばかり
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 四月廿九日[#「四月廿九日」に二重傍線] 晴、後藤寺町行乞、伊田、筑後屋(三〇・中)

すつかり晴れた、誰もが喜んでゐる、世間師は勿論、道端の樹までがうれしさうにそよいでゐる。
やつぱり行乞したくない、したくないけれどしなければならない、やつと食べるだけ泊るだけいただく(ずゐぶんハヂカれた、いや/\でやるんだから、それがあたりまへだらう)。
歯が痛む、春愁とでもいふのか、近くまた二本ぬけるだらう。
後藤寺町の丸山公園はよろしい、葉桜がよろしい、それにしても次良さんをおもひださずにはゐられない、一昨年はあんなに楽しく語りあつたのに、今は東西山河をへだてゝ、音信不通に近い。
白髪を剃り落してさつぱりした(床屋の職人、多分鮮人だらうが、乱暴に取扱つた)。
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逢ふまへの坊主頭としておく
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香春岳にはいつも心をひかれる、一の岳、二の岳、三の岳、それがくつきりと特殊な色彩と形態とを持つて峙えてゐる、よい山である、忘れられない山である。
此宿も悪くない、五銭奮発して上客なんだから、部屋もよく夜具もよかつたが、夜おそく、夫婦者が泊つたので大きい部屋へ移されたのは残念だつた、折角、一室一燈一人で、読書してゐたのに。

 四月卅日[#「四月卅日」に二重傍線] 雨后曇、后晴、再び緑平居に入る。

雨、雨、かう雨がふつてはやりきれない、合羽を着て、水に沿うて、ぶら/\歩いて、緑平居の客――厄介な客だと自分でも思つてゐる――となる。
雨後の新緑のめざましさ、生きてゐることのよろこびを感じる。
夕方、予期した如く、緑平老が出張先から戻つて来た、酒、話、ラヂオ、……友情のありがたさよ。
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 窓一つ芽ぶいた
 旅空の煙突ばつかり
 焼芋つゝんで下さつた号外で
・ぬけさうな歯を持つて旅にをる
 ぬけた歯を見詰めてゐる
    □
 お留守に来て雀のおしやべり(緑平居)
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 五月一日[#「五月一日」に二重傍線] まつたく五月だ、緑平居の温情に浸つてゐる。

熱があるとみえて歯がうづくには困つたが、洗濯したり読書したり、散歩したり談笑したり。
彼女からの小包が届いてゐた、破れた綿入を脱ぎ捨てゝ袷に更へることが出来た、かういふ場合には私とても彼女に対して合掌の気持になる。
廃坑を散歩した、アカシヤの若葉がうつくしい、月草を摘んできて机上の壺に※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]して置く。
放哉書簡集を読む、放哉坊が死生を無視(敢て超越とはいはない、彼はむしろ死に急ぎすぎてゐた)してゐたのは羨ましい、私はこれまで二度も三度も自殺をはかつたけれど、その場合でも生の執着がなかつたとはいひきれない(未遂にをはつたが[#「たが」に「マヽ」の注記]その証拠の一つだ)。
筍を、肉を、すべてのものをやはらかく料理して下さる奥さんの心づくしが身にしみた(私の歯痛を思ひやつて下さつて)。
緑平老は、あやにく宿直が断りきれないので、晩餐後、私もいつしよに病院へ行く、ネロ(その名にふさはしくない飼犬)もついてくる。
緑平居に多いのは、そら豆、蕗、金盞花である、主人公も奥さんも物事に拘泥しない性質だから、庭やら畑やら草も野菜も共存共栄だ、それが私にはほんたうにうれしい。
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 廃坑の月草を摘んで戻る
 廃坑、若葉してゐるはアカシヤ
・ここにも畑があつて葱坊主
 へたくそな鶯も啼いてくれる
・夕空、犬がくしやめした
 ひとりものに犬がじやれつく
 香春晴れざまへ鳥がとぶ
    □
 何が何やらみんな咲いてゐる(緑平居)
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 五月二日[#「五月二日」に二重傍線]

五月は物を思ふなかれ、せんねんに働け、といふやうなお天気である、かたじけないお日和である、香春岳がいつもより香春岳らしく峙つてゐる。
早く起きる、冷酒をよばれてから別れる、そつけない別れだが、そこに千万無量のあたゝかさが籠つてゐる。
四里ばかり歩いて、こゝまで来て早泊りした、小倉の宿はうるさいし、痔もよくないし、四年前、長い旅から緑平居へいそいだときの思出もあるので。
此宿は宿としてはよい方ではないけれど、山家らしくて、しつとりと落ちついてゐられるのが好きである。
今日の道はよかつた、いや、うつくしかつた、げんげ、たんぽゝ、きんぽうげ、赤いの白いの黄ろいの、百花咲きみだれて、花園を逍遙するやうな気分だつた、山もよく水もよかつた、めつたにない好日だつた(それもこれもみんな緑平老のおかげだ)、朝靄がはれてゆくといつしよに歯のいたみもとれてきた。
麦の穂、苗代つくり、藤の花、鮮人の白衣。
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 雀よ雀よ御主人のおかへりだ(緑平老に)
 香春をまともに別れていそぐ
 別れてきた荷物の重いこと
 別れてきて橋を渡るのである
 靄がふかい別れであつた
 ひとりとなつてトンネルをぬける
 なつかしい頭が禿げてゐた(緑平老に)
・塵いつぱいの塵をこぼしつゝゆく
 石をきざみ草萠ゆる
 若葉清水に柄杓そへてある
・住みなれて筧あふれる
・あるけばきんぽうげすわればきんぽうげ
    □
・衣がへ、虱もいつしよに捨てる
    □
 山寺ふけてゆつくり尿する(改作・福泉寺)
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此宿の田舎らしいところはほんたうにうれしかつた、水もうまかつた、山の水としてもうまかつた、何度飲んだか分らない、何杯も何杯も飲んだ、腹いつぱい飲んだ、こんなにうまい水はめつた[#「めつた」に傍点]に飲めない。
同宿二人、一人は研屋さん、腕のある人らしい、よく働いてよく儲けて、そしてよく費ふ――費ひすぎる方らしい、飲まなければ飲まないですむが、飲みだしたら徹底的に飲む、いつかも有金すつかり飲んでしまつて、着てゐる衣服はもとより煙草入まで飲んでしまいましたよ、などゝニコ/\話してくれた、愉快な男たることを失はない、他の一人は蹴込んでマツチを売つてあるく男、かなり世間を渡つてゐるのに本来の善良性を揚棄しえないほど善良な人間であつた。
今夜といふ一夜は幸福だつた、地は呼野、家は城井屋、木賃三十銭、中印をつけて置くが上印に値する、私のやうなものには。
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・ぜんまい  ・おばぜり
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 五月三日[#「五月三日」に二重傍線] 晴、行程七里、下関市、岩国屋(三〇・中)

よい日だつた、よい道づれもあつた、十一時頃小倉に入つた、招魂祭で人出が多い、とても行乞なんか出来さうになし、また行乞するやうな気分にもなれないので、さらに門司まで歩く、こゝから汽船で白船居へ向ひたいと思つてゐたのに、徳山へは寄港しないし、時間の都合もよくないので、下関へ渡つていつもの宿へおちつく、三時前とはあまりに早泊りだつた。
同宿十余人、同室弐人、おへんろさんと虚無僧さん、どちらも好人物だつた。
此宿の主人は、前年泊つた時感じたやうに、所謂普請道楽だ、部屋、食堂、便所、等、等と造り直してゐる、そして今日も二階の張出縁を自分で造つてゐる。
酒は高く米は安い。
関門を渡るたびに、私は憂欝になる、ほんたうの故郷、即ち私の出張[#「張」に「マヽ」の注記]地は防府だから、山口県に一歩踏み込めば現在の私として、私の性情として憂欝にならざるをえないのである、といふ訳でもないが、同時にさういふ訳でないこともないが、とにかく今日は飲んだ、飲んだゝけではいけないので、街へ出かけた、亀山祭でドンチヤン騒ぎ、仮装行列がひつきりなしにくる。……
今日は昼火事に出くわした。
少し腹工合が悪いので、念のために、緑平老から貰つてきた薬を飲む、よくきく薬だ、よくきく肉体だ。
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 焼跡あを/\と芽ぶいたゞけ
 乞食は裸で寝てゐる五月晴
・だまつて捨炭を拾ひ歩く
 声をそろへ力をそろへ鶴嘴をそろへ(線路工事)
 晴れておもひでの関門をまた渡る
[#ここで字下げ終わり]
刑務所の傍を、水に沿うて酒買ひにいつた、塀外の畑を耕してゐる囚人の視線は鋭かつた。
更けて隣室の夫婦喧嘩で眼が覚めた、だから夫婦者はうるさい、仲がよくてもうるさい、仲がわるければより[#「より」に傍点]うるさい。

 五月四日[#「五月四日」に二重傍線] 曇、行程八里、埴生、今井屋(三〇・下)

行乞しなければならないのに、どうしても行乞する気分になれない、それをむりに行乞した、勿論下関から長府まで歩くうちに身心を出来るだけ調整して。
長府はおちついた町で感じがいゝ、法泉寺の境内に鏡山お初の石塔があつた、乃木神社二十週[#「週」に「マヽ」の注記]年記念の博覧会(と自称するもの)が開催されてゐた、それに入場する余裕もないし興味もないので小月まで、小月では宿といふ宿から断られた、しようことなしにこゝまで歩いた、電燈がついてから着いて、頼んで泊めて貰つた、何といふ無愛想な、うるさい、けちな宿だらう!(しかし野宿よりはマシだ、三十銭
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