々深雪女来訪、酒がまはれば舌もまはる、無遠慮なヨタはいつもの通り、夕方、酒君と共に農平居を襲ふ、飲んだり話したり、山頭火式、農平式、酒壺洞式、十時過ぎて宿に戻る、すぐ、ぐつすり寝た。
どうも近来飲みすぎる、友人の厚情に甘えるのもよくないけれど、自分を甘やかしてもよくない。
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・星がまたたく旅をつづけてきてゐる
・おわかれのせなかをたたいてくれた(農平居)
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一握の麦、それが私をよくした、といふのは、今日、行乞中に或る家で、子供が米と間違へて麦を持つてきた、受けては困るけれど、受けなければなほ困る(いつぞや佐世保で志だけ受けるといつたら、その子供が泣きだした)、ハンカチーフでいたゞいた、そして宿まで持つて帰つて鶏にやつたら食べてくれない、ボクチン宿のニハトリなんてゼイタクなものだ。

 四月十八日[#「四月十八日」に二重傍線]

けさも早く起きたが雨だ、起きてくる誰もが不機嫌な顔をしてゐる、雨ほど世間師に嫌なものはないのに、此不景気だ、それやこれやで、とう/\喧嘩がはじまつた、呶鳴る、殴る、そして止める。
うるさいから、ぢつとしてゐるのもいやだから、十時過ぎてから、合羽を着て出立する、一時間ばかりで晴れてきた、どし/\歩いて神湊まで八里、久々で俊和尚に相見、飲んで話して書いて。――
俊和尚が浮かない顔をしてゐると思つたら、夫婦喧嘩して奥さんが実家へ走つたといふ、いろ/\宥めて電話をかけさせる、私と俊和尚とは性情に於て共通なものを持つてゐる、それだけ一しほ人事とは思へない、彼も憂欝、私も憂欝になる。
筑前の海岸一帯は美しい松原つゞきだが、殊に津屋崎海岸の松原は美しい、津屋崎の町はづれの菜の花も美しかつた、いちめんの花菜で、めざましいながめである(こゝでまた、筒井筒振分髪のH子をおもひだした)。
風がふいた、笠どころか、からだまで吹きまくるほどの風だ、旅人をさびしがらせるよ。
今夜は俊和尚の典座だ、飯頭であり、燗頭[#「燗頭」に傍点]であつた、ふらん草のおひたし、山蕗の甘煮、蕨の味噌汁、みんなおいしかつた、おいしく食べてぐつすり寝た。
かういふ手紙を書いた、それほど俊和尚はなつかしい人間だ。――
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また松のお寺の客となりました、俊禅師貎下の御親酌には恐入りました、サービス百パーセント、但しノンチツプ、折から庭の桜も満開、波音も悪くありません。……
    □
 麦田花菜田長い長い汽車が通る
 霞の中を友の方へいそぐ
 霞のあなたで樹を伐る音をさせてゐる
 水音を踏んで立ちあがる
 晴れて風ふく銅像がある
・早泊りして蘭竹の風が見える(改作)
 ひさ/″\きて波音のさくら花ざかり(隣船寺)
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 四月十九日[#「四月十九日」に二重傍線] 晴、そして風、行程三里、赤間町、小倉屋(三〇・中)

奥さんが夜中に戻つて来られたので、俊和尚も安心、私も安心だ、しかしかういふ場合に他人が狭[#「狭」に「マヽ」の注記]つてゐるのはよくないので、早々草鞋を穿く、無論、湯豆腐で朝酒をやつてからのことである。
行乞気分になれないのを行乞しなければならない今日だつた、だいたい、友を訪ねる前、友を訪ねた後は、所謂里心[#「里心」に傍点]が起るのか、行乞が嫌になつて、いつも困るのだが。
もう山吹が咲き杜鵑花が蕾んでゐる、紫黄のきれいなことはどうだ。
同宿五人、その中の婆さんは着物は持つてゐるが銭は持つてゐない、長崎からはる/″\門司にゐる息子を尋ねてゆくといふ、同宿の人々がいろ/\世話してあげたが、私はわざと知らない顔をしてゐた、我不関焉といふのではないが、彼女には好感を持てない何物かゞあるやうだ、明朝たばこ銭でもあげやうか、――彼女の存在は私の心を暗くした。
筍を食べたが、料理がムチヤクチヤなので、あんまりおいしくなかつた、うまい筍で一杯やりたいものだ。

 四月廿日[#「四月廿日」に二重傍線] 曇、風、行程四里、折尾町、匹田屋(三〇・中)

風にはほんたうに困る、塵労[#「塵労」に傍点]を文字通りに感じる、立派な国道が出来てゐる、幅が広くて曲折が少なくて、自動車にはよいが、歩くものには単調で却つてよくない、別れ路の道標はありがたい、福岡県は岡山県のやうに、此点では正確で懇切だ。
行乞相はよかつた、風のやうだつた(所得はダメ)。
省みて、供養をうける資格がない(応供に値するものは阿羅漢以上である)、拒まれるのが当然である、これだけの諦観を持して行乞すれば、行乞が修行となる、忍辱は仏弟子たるものゝ守らなければならない道である、踏みつけられて土は固まるのだ、うたれたゝかれて人間はできあがる。
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 旅のこどもが犬ころを持つてゐる(ルンペン)
・けふもいちにち風をあるいてきた
 山ふところの水涸れて白い花
・風のトンネルぬけてすぐ乞ひはじめる
 もう葉桜となつて濁れる水に
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同宿は土方君、失職してワタリをつけて放浪してゐる、何のかのと話しかける、名札を書いてあげる、彼も親不孝者、打つて飲んで買うて、自業自得の愚をくりかへしつゝある劣敗者の一人。

 四月廿一日[#「四月廿一日」に二重傍線] 晴、申分なし、行程三里、入雲洞房、申分なし。

若松市行乞、行乞相と所得と並行した、同行の多いのには驚いた、自省自恥。
若松といふところは特殊なものを持つてゐる、港町といふよりも船着場といつた方がふさはしい、帆柱林立だ(和船が多いから)、何しろ船が多い、木造、鉄製、そして肉のそれも!
諺文の立札がある、それほど鮮人が多いのだらう、檣のうつくしい港として、長崎が灯火の港であることに匹敵する如く。
鮮人宛の立札があるのは、諏訪神社に外人向のお※[#「鬥<亀」、第3水準1−94−30]札(英語の)があると[#「ると」に「マヽ」の注記]好対照だ。
入雲洞君はなつかしい人だ、三年ぶりに逢うて熊本時代を話し、多少センチになる。……
金魚売の声、胡瓜、枇杷、そしてこゝでも金盞花がどこにも飾られてゐた。
酢章魚がおいしかつた、一句もないほどおいしかつた、湯あがりにまた一杯が(実は三杯が)またよかつた、ほんに酒飲みはいやしい。
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 煙突みんな煙を吐く空に雲がない(八幡製鉄所)
 ルンペンが見てゐる船が見えなくなつた(若松風景)
 ぎつしりと帆柱に帆柱がうらゝか( 〃 )
   入雲洞房二句
 窓にちかく無花果の芽ぶいたところ
 ひさしぶり話してをります無花果の芽
    □
・もう死ぬる金魚でうつくしう浮く明り
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徹夜して句集草稿をまとめた、といふよりも、句集草稿をまとめてゐるうちに夜が明けたのだ、とにかくこれで一段落ついた、ほつと安心の溜息を洩らした、すぐ井師へ送つた、何だか子を産み落しや[#「しや」に「マヽ」の注記]うな気持、いや、私としては糞づまりを垂れ流したやうな心持である(きたない表現だけれど)。

 四月廿二日[#「四月廿二日」に二重傍線] 曇、あちらこちら漫歩、八幡市、山中屋(三〇・中)

朝酒、等、等、入雲洞さんの厚情が身心にしみる、洞の海を渡つて、木村さんを訪ねる、酒、それから同行して小城さんの新居へ、また酒、そしてまた四有三居で酒、酒、酒。
木村さんに連れられて、やつと宿を見つけて泊る、ぐつすり寝た、二夜分の睡眠だ。
四有三さんに――(廿三日、小倉から)。
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昨日はまるで酔ひどれの下らなさ図々しさを見せるためにお訪ねた[#「ねた」に「マヽ」の注記]やうなものでしたね、寄せ書きした頃から何が何だか解らなくなりましたよ、でも梅若葉のあざやかさ、おひたしのおいしさは、はつきり覚えてゐるから不思議です。……
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入雲洞さんから、敷島の百本入を一函頂戴した(双之介君からウエストミンスター、酒壺洞君からチエスターフイールドを貰つたのと共に漫談のいゝ材料だ)。
洞海(ドウカイ)或は洞の海(ホラノウミ)はいゝ、此の海を中心として各市が合併して大都市を形成する計画があるさうだが、それはホントウのスバラシイ事業だ。
美しい女が美しい花を持つてゐた。
子供の遊び、今日此頃は軍隊ごつこ戦争ごつこだ、子供は正直で露骨、彼等は端的に時代の風潮を反映する、大日本主義!
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 朝曇りのボロ船が動かない
 汐風を運ばれる鰒がふくれてゐる
 きたない水がぬくうて葦の芽
・鉄板をたゝいても唄うたつてゐる
 警察署の無花果の芽
・帆柱ばつかりさうして煙突ばつかり(若松から八幡へ)
 竹藪あかるう子供もできた(小城氏新居)
 あかるく竹がそよいでゐる
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 四月廿三日[#「四月廿三日」に二重傍線] 雨、風、行程二里、小倉市、三角屋(三〇・中)

わざと風雨の中を歩いた、先日来とかく安易になつた気持を払拭しようといふ殊勝な心がけからである。
小倉まで来て、放送居士、ではない、放送局下の惣三居士を訪ねる、初相見にしては始中終見、よばれて、しやべつて、いたゞいて、それから。――
酔うた、酔うた、ヱロ街散歩、何とぬかるみの変態的興味、シキシマを一本づゝ彼女達に供養した。
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 びつしよりぬれてゆくところがない
・風の建物の入口が見つからない
 どうやら霽れてくれさうな草の花
 春雨の放送塔が高い
・移りきて無花果も芽ぶいてきた(惣三居)
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廃棄工場(発電所)、そこにはデカダン的で男性的なものがあつた、なか/\句にならない。
寝十方花庵、月庵――惣三居士の面目。
雲水悠々として去来に任す、――さういふ境界に入りたい。
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雨なれば雨をあゆむ
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此一句(俳句のつもりではありません)を四有三さんの奥さんに呈す。
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・JOGK、ふるさとからちりはじめた
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此一句(俳句のつもり)を白船老に呈す。
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雨がふつてもほがらか
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此一句を俊和尚に呈す。

 四月廿四日[#「四月廿四日」に二重傍線]

雨、春雨だ、しつぽりぬれる、或はしんみり飲める、そしてまた、ゆうぜん遊べる春雨だ、一杯二杯三杯、それはみな惣三居士の供養だ。
朝湯朝酒、申分なくて申分があるやうな心地がする、さてそれは何だらう。
読書、けふはすこし堅いものを読んだ。
昨夜はたしかに酔うた、酔うたからこそヱロ街を散歩したのだが、脱線しなかつた、脱線しないといふことはうれしいが、同時にかなしいことでもある(それは生活意力の減退を意味するから、私の場合に於ては)。
此宿はよかつた、よい宿へとびこんだものだと思つた、きれいで、しんせつで、何かと便利がよろしい。
同宿四人、老人は遊人だらう、若者は行商人、中年女は何だか要領をえない巡礼さん、最後の四十男はお稲荷さん、蹴込んで張物の狐をふりまはす営業、おもしろい人物で、おしやべりで、苦労人で辛抱人だ。
夕方、そこらを散歩する、芭蕉柳塚といふのがあつた、折からの天神祭で、式三番叟を何十年ぶりかで見た、今夜はきつと少年の日の夢を見るだらう!
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・晴れたり曇つたり籠の鳥
 曇り日、珠数をつなぐ
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 四月廿五日[#「四月廿五日」に二重傍線] 晴、行程七里、直方市外、藤田屋(二〇・上)

どうしても行乞気分になれないので、歩いて、たゞ歩いてこゝまで来た、遠賀川風景はよかつた、身心がくつろいだ。
風が強かつた、はじめて春蝉を聞いた、銀杏若葉が美しい、小倉警察署の建物はよろしい。
此宿はほんたうによい、すべての点に於て(最初、私を断つたほどそれほど客を撰択する)。
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 風の中から呼びとめたは狂人だつた
・寝ころ□□はもう春蝉の二声三声
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 四月廿六日[#「四月廿六日」に二重傍線] 曇后晴、市街行乞、宿は
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