馬に春田を耕すことを教へてゐる
・しづかな道となりどくだみの芽
 どつさり腰をすえたら芽
 けふのおせつたいはたにしあへで
[#ここで字下げ終わり]
さつそく留置郵便をうけとる、どれもありがたかつたが、ことに緑平老のそれはありがたかつた。
私は何も持つてゐない、たゞ友を持つてゐる、よい友をこんなに持つてゐることは、私のよろこびあ[#「あ」に「マヽ」の注記]り、ほこりでもある。
緑平老のたよりによれば、朱鱗洞居士は無縁仏になつてしまつてゐるといふ、南無朱鱗洞居士、それでもよいではないか、君の位牌は墓石は心は、自由俳句のなかに、自由俳人の胸のうちにある。
此宿の便所は第一等だ、ヤキ(木賃宿)には勿体ない、武雄のそれに匹敵するものだ。
人間に対して行乞せずに、自然に向つて行乞したい[#「自然に向つて行乞したい」に傍点]、いひかへれば、木の実草の実を食べてゐたい。

 四月十一日[#「四月十一日」に二重傍線] 晴后曇、行程六里、深江、久保屋(二五・上)

歩いてゐる、領布[#「布」に「マヽ」の注記]振山、虹ノ松原、松浦潟の風光は私にも写せさうである、それだけ美しすぎる。
松原逍遙、よかつた、道は八方さわりなし。
今夜はずゐぶん飲んだ(緑平兄の供養で)、しかし寝られないので、いろ/\の事を考へる――其中庵のこと、三八九の事。
[#ここから2字下げ]
・朝からの騷音へ長い橋かゝる(松浦橋)
 春へ窓をひらく
・松風に鉄鉢をさゝげてゐる
・松はおだやかな汐鳴り
・へんろの眼におしよせてくだけて白波
・旅のつかれの腹が鳴ります
・しらなみの県界を越える
    □
・わびしさに法衣の袖をあはせる
[#ここで字下げ終わり]
酒は嗜好品である、それが必需品となつては助からない、酒が生活内容の主となつては呪はれてあれ。
木の芽はほんたうに美しい、花よりも美しい、此宿の周囲は桑畑、美しい芽が出てゐる、無果花の芽も美しい。

 四月十二日[#「四月十二日」に二重傍線] 雨、滞在休養、ゆつたりと一日一夜を味はつた。

久しぶりに朝酒を味ふ、これも緑平老の供養である、ありがたしともありがたし。
同宿は五人、みんな気軽な人々である、四方山話、私も一杯機嫌でおしやべりをした。
しと/\と降る、まつたく春雨だ、その音に聴き入りながらちびり/\と飲む、水烏賊一尾五銭、生卵弐個五銭、酒二合十五銭の散財だ、うれしかつた。
終日、句稿整理、私にはまだ自選の自信がない、しかし句集だけは出さなければならない、句集が出せなければ、草庵を結ぶことが出来ないのである。
今夜の同宿は五人、その中に嫌な男がゐるので、私は彼等のグループから離れてゐた、彼は妙に高慢ちきで、人の揚足を取らう/\としてゐる、みんなが表面敬意を見せて内心では軽蔑してゐるのに気がつかないで、駄法螺を吹いて威張つてゐる、よく見る型の一種だが、私の最も好かない型である、彼にひきかへて、鍋釜蓋さんは愉快な男だ、いふ事する事が愛嬌たつぷりである、お遍路婆さんも面白い、元気で朗らかだ、遊芸夫婦(夫は尺八、妻は尼)にも好感が持てた、こゝで思ひついたのだが、出来合の旅人夫婦は、たいがい、女房の方がずつと年上だ、そして妻権がなか/\強い、彼は彼女の若い燕、いや鴉でもあらう。
夜は読書、鉄眼禅師法語はありがたい。

 四月十三日[#「四月十三日」に二重傍線] 晴、行程二里、前原町、東屋(二五・ [#「 」に「マヽ」の注記])

からりと晴れ、みんなそれ/″\の道へゆく、私は一路東へ、加布里、前原を五時間あまり行乞、純然たる肉体労働だ、泊銭、米代、煙草銭、キス代は頂戴した。
今朝はおかしかつた、といふのは朝魔羅が立つてゐるのである、山頭火老いてます/\壮なり、か!
浜窪海岸、箱島あたりはすぐれた風景である、今日は高貴の方がお成になるといふので、消防夫と巡査とで固めてゐる、私は巡査に追はれ消防夫に追はれて、或る農家に身を潜めた、さてもみじめな身の上、きゆうくつな世の中である、でも行乞を全然とめられなかつたのはよかつた。
初めて土筆を見た、若い母と可愛い女の子とが摘んでゐた。
店のゴム人形がクル/\まはる、私は読経しつゞける。
犬ころが三つ、コロ/\ころげてきた、キツスしたいほどだつた。
孕める女をよく見うける、やつぱり春らしい。
日々好日に違ひないが、今日はたしかに好日だつた。
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・春あを/\とあつい風呂
[#ここで字下げ終わり]
此宿は見かけよりもよかつた、町はづれで、裏坐敷からのながめがよかつた、遠山の姿もよい、いちめんの花菜田、それを点綴する麦田(此地方は麦よりも菜種を多く作る)その間を流れてくる川一すぢ、晴れわたつた空、吹くともなく吹く風、馬、人、犬、――すべてがうつくしい春のあらはれだつた。
たゞ不便なのは酒屋が遠いことだ、三里はないけれど十丁位はある、それをわざ/\一合買ひに行くのだから、ほんたうに酒飲は浮ばれない(もつとも此場合の酒は古機械にさす油みたいなものだが)。
酒については、昨日、或る友にこんな手紙を書いた。――
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……酒はつゝしんでをりますが、さて、つゝしんでも、つゝしんでもつゝしみきれないのが酒ですね、酒はやつぱり溜息ですよ(青年時代には涙ですが、年をとれば)、しかし、ひそかに洩らす溜息だから、御心配には及びません。……
[#ここで字下げ終わり]

 四月十四日[#「四月十四日」に二重傍線] 雨となるらしい曇り、行程三里、生きの松原、その松原のほとりの宿に泊る綿屋( ・ )

行乞途上、わからずやが多かつたけれど、今日もやつぱり好日。
女はうるさい、朝から夫婦喧嘩だ、子供もうるさい、朝から泣きわめく、幸にして私は一人だ。……
朝鮮人はうるさいと思ふのに(此宿にも二人泊つてゐる、朝鮮人としての悪いところばかり持つてゐるらしい)、亭主持つなら朝鮮人(遊ばせて可愛がつてくれるから)とおばあさんがいふ!
休んでゐると、犬が尾をふりあたまをふつてやつてくる、からだをすりよせる、しかし私はお前にあげるものを持たない、すまないね。
どうでもといはれて、病人のために読経した、慈眼視衆生、福聚海無量、南無観世音菩薩、彼に幸あれ。
今年はじめての松露を見た(店頭で)、松原らしい気分になつた、私もすこし探したが一個も見つからなかつた。
松に風なく松露が。……
うるふ[#「うるふ」に傍点]といふ宿場はちつともうるほさなかつた。
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 すこし濁つて春の水ながれてくる
・旅人のふところでほんにおとなしい児
・春の街並はぢかれどほしでぬけた
・あたゝかい小犬の心がようわかる
 春のくばりものとし五色まんぢゆう
   再録
・朝からの騷音へ長い橋かゝる
・松はおだやかな汐鳴り
・遍路たゞずむ白浪おしよせる
・わびしさは法衣の袖をあはせる
    □
・旅の或る日の松露とる
 花ぐもりのいちにち石をきざむばかり
[#ここで字下げ終わり]
此宿はよい、家の人がよい、そして松風の宿だ、といふ訳でずゐぶん飲んだ、そしてぐつすり寝た、久しぶりの熟睡だつた、うれしかつた。
途中、潤(うるふ)といふところがあつた、うるほさないところだつた。
私は此頃、しやべりすぎる、きどりすぎる、考へよ。
同宿六人、みんなおへんろさんだ、その中の一人、先月まで事件師だつたといふ人はおもしろいおへんろさんだつた、ホラをふいてエラがる人だけれど憎めない人間だつた。
木賃宿に於ける鮮人(飴売)と日本人(老遍路)との婚礼、それは焼酎三合、ごまめ一袋で、めでたく高砂になつたが、かなしくもうれしいものだつた。

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四月十五日[#「四月十五日」に二重傍線] 夜来の雨が晴れを残していつた、行程二里、福岡へ予定の通り入つた、出来町、高瀬屋( ・中)
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この町――出来町――はヤキとヤキを得意とする店ばかりだ(久留米の六軒屋と共に九州のボクチン代表街だ)。
朝早く起きて松原を散歩した、かういふ旅にかういふ楽がある。
午前中の行乞相はよくなかつたが、午後のそれはよかつた、行乞もなか/\むつかしいものである。
山吹、連翹、さつき、石楠花、――ことしはじめて見る花が売られてゐた。
博多名物――博多織ぢやない、キツプ売(電車とバス)、禁札(押売、物貰、強請は警察へ)、と白地に赤抜で要領よく出来てゐる(西新町のそれはあくどかつた、字と絵とがクドすぎる)。
西公園を見物した、花ざかりで人でいつぱいだ、花と酒と、そして、――不景気はどこに、あつた、あつた、それはお茶屋の姐さんの顔に、彼女は欠伸してゐる。
街を通る、橋を渡る、ビラをまいてゐる、しかし私にはくれない、ビラも貰へない身の上だ、よろしい、よろしい。
酒壺洞君を搾取した、君は今、不幸つゞきである、君に消災妙吉祥。……
さくら餅といふ名はいゝ、餅そのものはまづくとも。
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・松風のゆきたいところへゆく
・洗へばよう肥えとるサカナ
・松風すゞしく人も食べ馬も食べ
・遍路さみしくさくらさいて
・さくらさくらさくさくらちるさくら
    □
 いちにち働らいた塵をあつめてゐる
                      (市役所風景)
 鈴《ベル》がなるよう働らいた今日のをはりの
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此宿はよい、何となくよい(満員なので、私は自分から進んで店に陣取つた、明るくて、かへつて静かでよろしい)、同宿は十余人、その中の六人組は曲搗の粟餅屋さんである、そしてその老親方は、五六年前、山陰で一夜同宿会談したことがある、江戸ツ児で面白い肌合だ(私が彼を覚えてゐたやうに、彼もまた私を覚えてゐた)。
今日もよい日だつた、ほんたうにほどよい日だつた、ほどよく酔ひ、ほどよく眠つた。
よい食慾とよい睡眠、これから人生の幸福が生れる。

 四月十六日[#「四月十六日」に二重傍線] 薄曇、市街行乞、宿は同前。

福岡は九州の都である、あらゆる点に於て、――都会的なもの[#「都会的なもの」に傍点]を感じるのは、九州では福岡だけだ。
今日の行乞相はよかつた、水の流れるやうだつた(まだ雲のゆくやうではないけれど)、しかし福岡は――市部はどこでも――行乞のむつかしいところ、ずゐぶんよく歩いたが、所得は、やつと食べて泊つて、ちよつぴり飲めるだけ。
一銭、一銭、そして一銭、それがたゞアルコールとなるばかりでもなかつた、今日は本を買つた(達磨大師についての落草談)、読んで誰かにあげやう、緑平老にでも。
春を感じる、さくらはあまり感じない、それが山頭火式だ。
夜は中洲の川丈座へゆく、万歳オンパレードである、何といふバカらしさ、何といふホガらし[#「し」に「マヽ」の注記]さ。
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・昼月に紙鳶をたたかはせてゐる
・水たまりがほがらかに子供の影うつす
・あたゝかに坊やは箱の中に寝てゐる
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――飲んだ、歩いた、歩いた、飲んだ――そして今日が今夜が過ぎてしまつた、たゞそれだけ、生死去来はやつぱり生死去来に御座候、あなかしこ。
夜は万歳を聞きに行つた、あんまり気がクサ/\するから、そしてかういふ時にはバカらしいものがよいから、――可愛い小娘がおぢさん/\ていつて好意を示してくれた。
世の中味噌汁[#「世の中味噌汁」に傍点]! 此言葉はおもしろい。
今夜、はじめて蕨を食べた、筍はまだ。

 四月十七日[#「四月十七日」に二重傍線] 花見日和、午前中行乞、宿はおなじく。

わざと中洲――福岡市に於ける第一流の小売商店街――を行乞した、行乞相はよかつたけれど、所得は予想通りだつた、二時間で十五銭、まあ百軒に一軒いたゞいたぐらゐだらう、いたゞかないのになれて、いたゞくと何だかフシギなやうに感じた。
大浜の方は多少出る、少し歩いて、約束通り酒壺洞房を訪れる、アルコールなしで、短冊六十枚ばかり、半切十数枚書いた(後援会の仕事の一つである)、悪筆の達筆には主客共に驚いたことだつた、折
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