きまで酒がめぐつた
・梅干、病めば長い長い旅
・こゝに住みたい水をのんで去る(添作)
・あすもあたゝかう歩かせる星が出てゐる
・ふんどしは洗へるぬくいせゝらぎがあり(木賃宿)
春夜のふとんから大きな足だ
□
・枯草の風景に身を投げ入れる(改作)
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四月六日[#「四月六日」に二重傍線] 晴れたり曇つたり、風が吹いて肌寒かつた、どうも腹工合がよくない、したがつて痔がよくない、気分が欝いで、歩行も行乞もやれないのを、むりにこゝまで来た、行程わづかに二里、行乞一時間あまり、今福町、山代屋(二五・上)
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死! 死を考へると、どきりとせずにはゐられない、生をあきらめ死をあきらめてゐないからだ、ほんたうの安心が出来てゐないからだ、何のための出離ぞ、何のための行脚ぞ、あゝ!
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・こゝまでは道路が出来た桃の花
・崖にかぢりつき崖をくづすこと
・旅もをはりの、酒もにがくなつた
病んで寝てゐる家鴨さわがしい宿
・忘れようとするその顔の泣いてゐる(夢)
・どうでもよい木の芽を分けのぼる
・さみしさ、あつい湯にはいる
・水のうまさは芽ぐむものにもあたへて
・食べるだけ食べてひとりの箸をおく
花ざかり豆腐屋で豆腐がおいしい
・どこかで頭のなかで鴉がなく(夢幻)
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此宿はよい、昨夜の宿とはまた違つた意味で、――飲食店だけでは、此不景気にはやつてゆけないので安宿を始めたものらしい、うどん一杯五銭で腹をあたゝめた、久しぶりのうどんだつた、おいしかつた。
世間師には明日[#「明日」に傍点]はない(昨日[#「昨日」に傍点]はあつても)、今日[#「今日」に傍点]があるばかりである、今日一日の飯と今夜一夜の寝床とがあるばかりだ、腹いつぱい飲んで食つて、そして寝たとこ我が家、これが彼等の道徳であり哲学であり、宗教でもある。
人間の生甲斐は味ふ[#「味ふ」に傍点]ことにある、生きるとは味ふのだともいへよう、そして人間の幸は『なりきる』ことにある、乞食は乞食になりきれ、乞食になりきらなければ乞食の幸は味はへない、人間はその人間になりきるより外に彼の生き方はないのである。
金がある間は行乞など出来るものでない、また行乞すべきものでもあるまい、私もとう/\無一物、いや無一文になつてしまつた、SさんGさんに約束した肌身の金もちびりちびり出してゐたら、いつのまにやら空つぽになつてしまつてゐる、これでよい、これでよいのだ、明日からは本気で行乞しよう、まだ/\袈裟を質入しても二三日は食べてゐられるが。
酒飲みは悪い酒を飲み、茶好きはよい茶を好む、前者では量、後者では質が第一の関心事らしい。
かう腹工合が悪くては困つたものだ、これでは行乞相まで悪くなる、姿勢がくづれる、声が出なくなる、眼が光りだす、腹が立ちやすくなる。……
今夜も寝つかれなくて、下らない事ばかり考へてゐた、数回目の厠に立つた時はもう五時に近かつた(昨夜は二時)。
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四月七日[#「四月七日」に二重傍線] 曇、憂欝、倦怠、それでも途中行乞しつゝ歩いた、三里あまり来たら、案外早く降りだした、大降りである、痔もいたむので、見つかつた此宿へ飛び込む、楠久、天草屋(二五・中)
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ずゐぶんうるさい宿だ、子供が多くて貧乏らしい、客間は二階だが、天井もなければ障子もない、せんべいふとんが二三枚あるだけだ(畳だけは畳らしい)、屋根裏のがらんどうにぼつねんとしてゐると、旅愁といふよりも人生の悲哀に近いものを感じる、私はかういふ旅に慣れてゐるから、かういふ宿にかへつて気安さを感じるが(そこをねらつてわざと泊つたのでもあるが)普通の人々――我々の仲間はとても一夜どころか一時間の辛抱も出来まい。
今日は県界を越えた、長崎から佐賀へ。
どこも花ざかりである、杏、梨、桜もちらほら咲いてゐる、草花は道べりに咲きつゞいてゐる。
食べるだけの米と泊るだけの銭しかない、酒も飲めない、ハガキも買へない、雨の音を聴いてゐる外ない。
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お地蔵さんもあたたかい涎かけ
汽車が通れば蓬つむ手をいつせいにあげ
・何やら咲いてゐる春のかたすみに
・明日の米はない夜《ヨル》の子を叱つてゐる(ボクチン風景)
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此宿はほんたうにわびしい、家も夜具も食物も、何もかも、――しかしそれがために私はしづかなおちついた一日一夜を送ることが出来た、相客はなし(そして電燈だけは明るい)家の人に遠慮はなし、二階一室を独占して、寝ても起きても自由だつた、かういふ宿にはめつたに泊れるものでない(よい意味に於てもわるい意味に於ても)。
よく雨の音を聴いた、いや雨を観じた[#「雨を観じた」に傍点]、春雨よりも秋雨にちかい感じだつた、しよう/\として降る、しかしさすがにどこかしめやかなところがある、もうさくら[#「さくら」に傍点](平仮名でかう書くのがふさはしい)が咲きつゝあるのに、この冷たさは困る。
雪中行乞で一皮だけ脱落したやうに、腹いたみで句境が一歩深入りしたやうに思ふ、自惚ではあるまいと信じる、先月来の句を推敲しながらかく感じないではゐられなかつた。
友の事がしきりに考へられる、S君、I君、R君、G君、H君、等、等、友としては得難い友ばかりである、肉縁は切つても切れないが、友情は水のやうに融けあふ、私は血よりも水を好いてゐる!
天井がないといふことは、予想以外に旅人をさびしがらせるものであつた。
今日は一つの発見をした、それは、私の腹いたみは冷酒が、いひかへれば酒屋の店頭でグツと呷るのが直接原因であることだつた。
今夜も寝つかれない、読んだり考へたりしてゐるうちに、とうとう一番鶏が鳴いた、あれを思ひ、これを考へる、行乞といふことについて一つの考察をまとめた。
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四月八日[#「四月八日」に二重傍線] 晴、雨後の春景色はことさらに美しい、今日は花祭である、七年前の味取生活をしぜんに想ひだしてなつかしがつたことである。
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今日は辛かつた、行乞したくないよりも行乞できないのを、むりやり行乞したのである、しなければならなかつたのである、先日来毎日毎日の食込で、文字通りその日ぐらしとなつてしまつたから詮方ない。
やつと二里歩いて此町へ着いた(途中二度上厠)、そして三時間ばかり行乞した、おかげで飯と屋根代とは出来た、一浴したが一杯はやらない、此宿は清潔第一で、それがために客が却つて泊らないらしい、昨夜の宿とは雲泥の差だ、叶屋(二五・中)。
旅に病んで、つく/″\練れてゐない自分、磨かれてゐない自分、そしてしかも天真を失ひ純情を無くした自分、野性味もなく修養価値もない自分を見出さゞるを得なかつた。
此宿の不人気である理由が解つた、すべて世間師は生活に労[#「労」に「マヽ」の注記]れてゐる、家庭的情味に餓えてゐる、彼等には宿が家である、そこには何よりもくつろぎとしたしみとがなければならない、いひかへれば at home な情緒が第一要件である、清潔とか何とかは第二第三の要件である、此宿のおかみさん抜目がなさすぎる、いたづらにきれい好きで、そしてふしんせつだ。
街上所見の一――これはまた、うどんやが硝子戸をはめてカフヱー日輪となつてゐる、立看板に美々しく『スマートな女給、モダーンな設備、サーピ[#「ピ」に「マヽ」の注記]ス(セーピスぢやない)百パーセント』さぞ/\非スマートな姐さんが非モダーな[#「ーな」に「マヽ」の注記]チヤブ台の間をよた/\することだらう(カフヱー全盛時代には山奥や浦辺にもカフヱーと名だけつけたものがうよ/\してゐた、駄菓子が[#「子が」に「マヽ」の注記]カフヱーベニスだつたりした、もつともそこは入川に臨んでゐたから、万更縁がないでもなかつたが)。
もう蕨を触れ歩く声が聞える、季節のうつりかはりの早いのには今更のやうに驚かされる。
同宿五人、私はひとり[#「ひとり」に傍点]を守つて勉強した。
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・山から自転車でさくら売つてきた
いつ咲いたさくらまで登つてゐる
腹底のしく/\いたむ大声で歩く
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四月九日[#「四月九日」に二重傍線] 申分のない晴、町内行乞、滞在、叶屋。
今日はよく行乞した、こんなに辛抱強く家から家へと歩きまはつたことは近来めづらしい、お天気がよいと、身心もよいし、行乞相もよい、もつとも、あまりよすぎてもいけないが。
行乞中、毎日、いやな事が二三ある、同時にうれしい事も二三ある、さしひきゼロになる、けふもさうだつた。
花が咲いて留守が多い、牛が牛市へ曳かれてゆく、老人が若者に手をひかれて出歩く、子供は無論飛びまはつてゐる。
花、花、花だ、満目の花だ、歩々みな花だ、『見るところ花にあらざるはなし』『触目皆花』である、南国の春では、千紫万紅[#「千紫万紅」に傍点]といふ漢語が、形容詞ではなくて実感だ。
風呂へいつたついでに駅へ立ち寄つたら、凱旋兵歓迎で人がいつぱいだ、わづか一兵卒(といつては失礼だけれど)を迎へるのに一村総出で来てゐる(佐賀市で出征兵士見送の時もさうだつた)、これだけの銃後の力があつて日本兵が強くなければ嘘だと思つた。
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・蕨がもう売られてゐる
鳩も雀も燕までをりていたゞいてゐる
夫婦仲よく鉄うつやとんかん(鍛冶屋)
・春風のボールにうたれた(行乞途上)
乞食となつて花ざかり
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世間師にもいろ/\ある、殊に僧形を装うていろ/\の事をやつてゐるが、私は行乞を尊重する、ガラ(行乞の隠語)が一等よろしい、かへりみてやましいところがない(いや、すくない)。
夕食後、春宵漫歩としやれる、伊万里も美しい町である、山も水も、しかし人はあまり美しくないやうである。
今夜の同宿は三人、一人は活動に、一人は浪花節にいつた、私は後に残つて読書。
今夜もまた眠れない、眠れないのでいろ/\のラチもない事を考へる――酒好きは一切を酒に換算する、これが一合、いや、これで一杯やれる、等、等、等。
私はしよつちう胃腸を虐待する、だから、こんどのやうに胃腸が反逆するのはあたりまへだ。
聖人に夢なく凡人に夢は多すぎる、執着のないところに夢はない、夢は執着の同意語の一つだ、私はよく悪夢におそはれる、そして自分で自分の憎愛の念のはげしいのにおどろく。
四月十日[#「四月十日」に二重傍線] 曇后晴、行程八里、唐津市、梅屋(三〇・上)
八時から六時まで歩きつゞけた、黒川と波多津とで行乞、海岸路山間路、高低曲折の八里を歩いて来たのだから、山頭火いまだ老いず矣(但し途中キツケ水注入)。
伊万里は勿論、途上、空家貸家売家がよく目につく、不景気は深刻である。
今日の道はよかつた、自動車どころか行人もあまり見受けなかつた、しづかでうれしかつたが、同時に、道をまちがへてだいぶ無駄足をふんだ(訊ねる家も人もないやうなところで)。
さすがに田舎は気持がよい、手掴みで米を出すやうな人もなく、逢ふ人はみな会釈する、こちらが恥づかしくなるほどだ。
御大典記念の時計台がこしらへてある、いゝ思ひつきだけれど、あんなところにこしらへたのが、さて、どのくらゐ役立つだらうかとも考へられる。
今日、はじめて蟇を聞き蛇を見た。
やつぱり南国の風景は美しすぎる、築山のやうな山、泉水のやうな海、――まるで箱庭である。
山ざくらはもう葉ざくらとなつてゐた。
山村のお百姓さんはほんたうによく働らいてゐる、もつたいないと思つた、すまないと思つた。
同宿四人、二人は夫婦、仲のよいことである。
今夜の酒はうまかつた、酒そのものはあまりよくないのに。
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学校も役場もお寺もさいたさいた
朝ざくらまぶしく石をきざむや
うたつてもおどつてもさくらひらかない
・石がころんでくる道は遠
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