けてゆける、めい/\嘘のない道を辿りませう、といふ意味の返事を出しておいた。
昨夜も夜明けの鶏がうたふまで眠らなかつた、いろ/\の事――おもに、三八九の事――が気になつて寝つかれなかつたのである、私も案外、小児病的で恥づかしい。
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雪もよひ、飯が焦げついた
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一月十四日[#「一月十四日」に二重傍線] 曇、降りさうで降らない雪模様。しかし、とにかく、炬燵があつて粕汁があつて、そして――。
東京の林君から来信、すぐ返信を書く、お互に年をとりましたね、でもまだ色気がありますね、日暮れて途遠し、そして、さうだ、そしてまだよぼ/\してゐますね。……
先夜の吹雪で吹きとばされた綿入遂に不明、惜しい品でないだけ、それだけ考へさせる。
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雪空、痒いところを掻く
雪空、いつまでも女の話で(隣室の青年達に)
・雪の日の葱一把
・一把一銭の根深汁です
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一月十五日[#「一月十五日」に二重傍線] 晴、三寒四温といふがじつさいだ。
少々憂欝である(アルコールが切れたせいか)、憂欝なんか吐き捨てゝしまへ、米と塩と炭[#「米と塩と炭」に傍点]とがあるぢやないか。
夕方からまた出かける(やつぱり人間が恋しいのだ!)、馬酔木さんを訪ねてポートワインをよばれる、それから彼女を訪ねる、今夜は珍らしく御気嫌がよろしい、裏でしよんぼり新聞を読んでゐると、地震だ、かなりひどかつたが、地震では関東大震災の卒業生だから驚かない、それがいゝ事かわるい事かは第二の問題として。
けふは家主から前払間代の催促をうけたので、わざ/\出かけたのだつたが、馬酔木さんには何としてもいひだせなかつた、詮方なしに、彼女に申込む、快く最初の無心を聞いてくれた、ありがたかつた、同時にいろ/\相談をうけたが!
彼女のところで、裏のおばさんの御馳走――それは、みんなが、きたないといつて捨てるさうなが――をいたゞく、老婆心切[#「切」に「マヽ」の注記]とはおばさんの贈物だらうか、みんなは何といふ罰あたりどもだらう、じつさい、私は憤慨した、奴[#「奴」に「マヽ」の注記]鳴りつけてやりたいほど興奮した。
今日で、熊本へ戻つてから一ヶ月目だ、あゝこの一ヶ月、私は人に知れない苦悩をなめさせられた、それもよからう、私は幸にして、苦悩の意義を体験してゐるから。
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・痛む足なれば陽にあてる
・人のなつかしくて餅のやけるにほひして
・よう寝られた朝の葉ぼたん
雪もよひ雪とならなかつたビルデイング
・何か捨てゝいつた人の寒い影
・そうてまがる建物つめたし
・子のために画いてゐるのは鬼らしい(馬酔木さんに)
・警察署の雪はまだ残つてゐる
・あんなに泣く子の父はゐないのだ
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一月十六日[#「一月十六日」に二重傍線] 曇、やがて晴、あたゝかだつた。
朝、時雨亭さん桂子さんから、三八九会加入のハガキが来た、うれしかつた、一杯やりたいのをこらへて、ゆつくり食べる。……
午後散歩、途中で春菊を買つて帰る、夜も散歩、とう/\誘惑にまけて、ひつかけること濁酒一杯、焼酎一杯(それは二十銭だけれど、現今の財政では大支出だ!)。
唐人街、新市街、どこを歩いても、見切品[#「見切品」に傍点]ばかりが眼について嫌になつちまう、人間がそも/\見切だから詮方もないが、実は旧臘以来、安物ばかり買はされてきたせいだ。
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・あたゝかく人を葬る仕度してゐる
晴れて遠く阿蘇がまともにまつしろ(こゝから)
・凩に焼かれる魚がうごいてゐる
捨てられた梅も咲いてゐる
枯れきつてでかい樹だ
・デパートのてつぺんの憂欝から下りる
・星晴れてのんびりと尿する
尿してゐるあちらはヂヤズか
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こゝに重大問題[#「重大問題」に傍点]、いや/\重大記録[#「重大記録」に傍点]が残つてゐた、――それはかうである、――十三日は午後、三八九の趣意書を、どうしても刷りあげるつもりで出て、蔚山町の黎明社へいつた、そこは謄写刷の専門店だ、主人が留守で弟子が一人、その弟子を説きつけて刷りあげた、それを持つて、元寛君へ駈けつけて、そこで四方八方、といつても、面識のある、好意を持つてくれさうな俳友へ配つた、実は手帖を忘れて行つたので、そんな事柄をこま/″\と書きつけておいたのだが、……ともかく、私の生活の第一歩だけは、これできまつた訳だ、それを書き忘れてゐたのだから、私もだいぶ修行が積んだやうだ、三八九最初の、そして最大のナンセンスとでもいひたいもの如件。
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終電車重い響を残して帰つた
・星があつて男と女
・霙ふる、売らなきやならない花をならべる
・霙ふるポストへ投げこんだ無心状
・ぬかるみをきてぬかるみをかへる
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不幸はたしかに人を反省せしめる、それが不幸の幸福だ、幸福な人はとかく躓づく、不幸はその人を立つて歩かせる!
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……へんてこな一夜だつた、……酔うて彼女を訪ねた、……そして、とう/\花園、ぢやない、野菜畑の墻を踰えてしまつた、今まで踰えないですんだのに、しかし早晩、踰える墻、踰えずにはすまされない墻だつたが、……もう仕方がない、踰えた責任を持つより外はない……それにしても女はやつぱり弱かつた。……
一月十七日[#「一月十七日」に二重傍線] 晴、あたゝかだつたが、私の身心は何となく寒かつた。
帰途、薬湯に入つてコダハリを洗ひ流す、そして一杯ひつかけて、ぐつすり寝た、もとより夢は悪夢にきまつてゐる、いはゞ現実の悪夢だ。
今日は一句も出来なかつた、心持が逼迫してゐては句の出来ないのが本当だ、退一歩して、回光返照の境地に入らなければ、私の句は生れない。
一月十八日[#「一月十八日」に二重傍線] 晴、きのふもけふもよいお天気だつた、そして私も閉ぢ籠つて読んだり書いたりした。
夕方から散歩、ぶら/\歩きまはる、目的意識なしに――それが遊びだ[#「遊びだ」に傍点]――そこに浄土がある、私の三八九がある!
また逢うてまた別れる、逢ふたり別れたり、――それが世間相! そして常住だよ。
こゝの家庭はずゐぶんやゝこしい、寄合世帯ぢやないかと思ふ、爺さんはガリ/\、婆さんはブク/\、息子は変人、娘は足りない、等、等、等、うるさいね。
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・凩に明るく灯して母子です
凩のラヂオをり/\きこえる
闇夜いそいで戻る馬を叱りつゝ
凩、餅がふくれあがる
・のび/\と尿してゐて咎められた
[#ここで字下げ終わり]
一月十九日[#「一月十九日」に二重傍線] けふもよい晴れ、朝湯朝酒、思無邪。
朝湯の人々、すなはち、有閑階級の有閑老人もおもしろい、寒い温かい、あゝあゝあゝの欠伸。
濁酒を飲む、観音像(?)を買ふ、ホウレン草を買ふ。
元寛さんを訪ねて、また厚意に触れた、馬酔木さんに逢うて人間のよさに触れた。
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・日向ぼつこする猫も親子
小春日、仏像を買うて戻つた
日向ぬくうしてませた児だ
・餅二つ、けふのいのち
ホウレン草の一把一銭ありがたや
うらゝかにいたづらに唄うて乞うてゐる
(ルンペンに)
生きたくてドツコイシヨ唄うてあるく
巷に立つて運命を説いてる髯
有田洋行会の象をうたふ
象も痩せて鼻のばす身体《カラダ》うごかす
なんぼ食べても食べ足りない象はうごく
さぞ寒からう象にもフトンがない
しきりに鼻をふる象に何かやれ
鼻をさしのべる象には食べるもの
愛嬌ふりまく象はメクラだつたのか
君ヶ代吹いてオツトセイは何ともない
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一月廿日[#「一月廿日」に二重傍線] うらゝか、今日の昨日を考へる、微苦笑する外はない。
すまなかつた、寥平さんにも、彼女にも、私自身にも、――しかし、脱線したのぢやない、それだけまた心苦しい。
苦味生さんから来信、あたゝかい、あたゝかすぎる、さつそく返信、そして寝る、悪夢はくるなよ。
自分が見え坊[#「見え坊」に傍点]だつたことに気付いて、また微苦笑する外なかつた、といふのは、私は先頃より頭部から顔面へかけて痒いものが出来て困つてゐる、それへテイリユウ膏を塗布するのだが、見えない部分よりも見える部分――自分からも他人からも――へ兎角たび/\塗布する。……
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風の音にも何やかや
□
・大空晴れわたり死骸の沈黙
木枯やぼう/\としてゐる
[#ここで字下げ終わり]
一月廿一日[#「一月廿一日」に二重傍線] 晴れたり曇つたり、大寒入だといふのに温かいことだ。
今日は昼も夜も階下の夫婦が喧嘩しつゞけてゐる、こゝも人里、塵多し、全く塵が多過ぎます、勿論、私自身も塵だらけだよ。
[#ここから3字下げ]
よろめくや寒[#(ン)]空ふけて
電燈のひかりにうかぶや葉ぼたん
ひとり住むことにもなれてあたゝかく
[#ここで字下げ終わり]
一月廿二日[#「一月廿二日」に二重傍線] 雨、憂欝な平静。
稀也さんから突然、岡山へ転任するといふ通知があつたので、逓信局に元、馬の二君を訪ねて、送別句会の打合をする。
途上で少しばかり飲んだ、最初は酒、そして焼酎、最後にまた酒! 何といつても酒がうまい、酔心地がよい、焼酎はうまくない、うまくない焼酎を飲むのは経済的だからだ、酔ひたいからだ、同じ貨幣で、酒はうまいけれど焼酎は酔へるからだ、飲む[#「飲む」に傍点]ことが味ふ[#「味ふ」に傍点]ことであるのは理想だ、飲むうちに味ふほどに酔うてくるなら申分ないけれど、それは私の現状が許さない、だから、好きでもない焼酎を飲む、眼をつぶつて、息もしないやうにして、ぐつと呻る[#「呻る」はママ]のである、みじめだとは自分でも知つてゐる、此辺の消息は酒飲みの酒好き[#「酒飲みの酒好き」に傍点]でないと解らない、酒を飲むのに目的意識[#「目的意識」に傍点]があつては嘘だが、目的意識がなくならないから焼酎を飲むのである。……
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夫婦で洗ふ赤児がおとなしい
夫婦喧嘩もいつしかやんだ寒の月
夕ぐれのどの家も子供だらけだ
酔うほどは買へない酒をすゝるのか
[#ここで字下げ終わり]
一月廿三日[#「一月廿三日」に二重傍線] 雨、曇、何といふ気まぐれ日和だらう。
夜、元寛居で、稀也送別句会を開く、稀也さんは、いかにも世間慣れた(世間摺れたとは違ふ)好紳士だつた、別れるのは悲しいが、それが人生だ、よく飲んでよく話した。
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冷やかに明けてくる霽れてくる
・出来そこなひの飯たべて今日を逝かせる
寒[#(ン)]空、別れなければならない
恋猫の声も別れか
寒い星空の下で別れる
・重荷おもくて唄うたふ
・ひとりにはなりきれない空を見あげる
あたゝかく店の鶯がもう啼いて
よいお天気の山芋売かな
畑は月夜の葉ぼたんに尿する
[#ここで字下げ終わり]
稀也さんに、元寛さんへも馬酔木さんへも木葉猿をげ[#「をげ」に「マヽ」の注記]る、そして稀也さんも私も酔ふた、酔うて別れて思ひ残すことなし、よい別れだつた。
裏のおばさんに『あたゝかいですね』といふと『ワクドウが水にはいつたから』と答へる、熊本の老人は誰でもさういふ、ワクドウ(蟇の方言である)が水にはいる(産卵のためである)、だから暖かいと理窟である、ワクドウが水に入つたから暖かいのでなくて、暖かいからワクドウが水に入るのだから、原因結果を取違へてゐるのだが、考へやうによつては、面白くないこともない、私たちはいつもしば/\かういふ錯誤をくりかへしつゝあるではないか。
一月廿四日[#「一月廿四日」に二重傍線] うらゝかだつた、うらゝかでないのは私と彼女との仲だつた。
米の安さ、野菜の安さ、人間の生命も安くなつたらしい。
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