行乞記
三八九日記
種田山頭火
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)他人《ヒト》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「飮のへん+稻のつくり」、第4水準2−92−68]
[#(…)]:訓点送り仮名
(例)寒[#(ン)]空
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)ホヤ/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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十二月廿八日[#「十二月廿八日」に二重傍線] 曇、雨、どしや降り、春日へ、そして熊本へ。
もう三八九日記としてもよいだらうと思ふ、水が一すぢに流れるやうに、私の生活もしづかにしめやかになつたから。――
途上、梅二枝を買ふ、三銭、一杯飲む、十銭、そして駅で新聞を読む、ロハだ。
夕方から、元坊を訪ねる、何といふ深切さだらう、Y君の店に寄る、Y君もいゝ人だ、I書店の主人と話す、開業以来二十七年、最初の最深の不景気だといふ、さうだらう、さうだらうが、不景気不景気で誰もが生きてゐる、たゞ生きてゐるのだ、死ねないのだらう!
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晴れた朝の悲しいたよりだつた(寸鶏頭君の病篤し)
・酔へば人がなつかしうなつて出てゆく
師走夕暮、広告人形がうごく
久しぶりに話してゐる雨となつた
どしやぶり、正月の餅もらうてもどる
・どうなるものかとはだしであるく
暮れてまだ搗いて餅のおいしからう
濡れて戻つて机の塵
[#ここで字下げ終わり]
Sがお正月餅を一袋くれた、※[#「飮のへん+稻のつくり」、第4水準2−92−68]餅、平餅、粟餅、どれもこれもありがたくいたゞいた、元坊のところでも搗きたてのホヤ/\餅をおいしく食べた。……
寝床の中でつく/″\考へる、――私は幸福な不幸人だ[#「幸福な不幸人だ」に傍点]、恵まれた邪宗徒[#「恵まれた邪宗徒」に傍点]だ、私はいつでも死ねる、もがかずに、従容として! 私にはもうアルコールもいらない、カルモチンもいらない、ゲルトもいらない、フラウもいらない、……やつぱりウソはウソだけれど、気分は気分だ。
十二月廿九日[#「十二月廿九日」に二重傍線] 晴、紺屋町から春日駅へ、小春日和の温かさ。
或る人へのたよりに、『……こゝへ移つて来てから、ほんたうにしづかな時間が流れてゆきます、自分自身の寝床――たとへそれはどんなにみすぼらしいものであつても――を持つてゐることが、こんなにも身心をおちつかせるかと、自分ながら驚いてをります、ちようど、一茶が長年待ち望んでゐた家庭を持つた時のよろこびもこんなだつたらうと、ひとりで微苦笑を禁じえませんでした。……』
ぶら/\歩いてゐるうちに、酒が飲みたくなつて、飲むだけの十銭は持つてゐたので、一杯ひつかけた、漬物、皿、炭、等々を買つたら、もう財布には一銭銅貨四枚しか残つてゐない。
ルンペンは一夜の契約だが、今の私は来年の十五日までは、こゝにゐることが出来る、米と炭と数の子と水仙と白足袋とを買つたら、それこそおめでたいお正月だ!(餅はすでに貰つた。酒も貰へるかも知れない、乞食根性をだすなよ)
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月の葉ぼたんへ尿してゐる
誰もが忙しがつてる寒月があつた
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三八九の原稿を書くのに、日記八冊焼き捨てゝしまつたので困つた、しかし困つても、焼き捨てたのはよかつたらう、――過去は一切焼き捨てなければ駄目だから、――放下了也。
十二月卅日[#「十二月卅日」に二重傍線] 風は冷たいけれど上々吉のお天気、さすがに師走らしい。
私は刻々私らしくなりつゝある、私の生活も日々私の生活らしくなりつゝある、何にしてもうれしい事だ、私もこんどこそはルンペンの足を洗ふことが出来るのだ。
草鞋のかろさと下駄のおもさとを考へる、殊に足駄をひきずつて泥濘を歩くと、すぐ足が痛くなり腫れあがつて歩けなくなる、長袖を着て下駄を穿いて活動が出来るものか。
師走の人ごみにまじつて、ぶら/\歩く、買う銭もなければ、あまり買ひたいものもない、あんまりのんき[#「のんき」に傍点]な師走の私かな。
私には師走もなければ、したがつて正月もない、気取つていへば、毎日が師走でもあり正月でもある。
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あんな夢を見たけさのほがらか
けさも一りん開いた梅のしづけさ
鐘が鳴る師走の鐘が鳴りわたる
・街は師走の広告燈の明滅
・仲よい夫婦で大きな荷物
飾窓の御馳走のうつくしいことよ
うつくしう飾られた児を見せにくる
寒い風の広告人形がよろめく
朝日まぶしい餅をいたゞく
[#ここで字下げ終わり]
午前は元寛さん来訪、夜は馬酔木居往訪、三人で餅を焼いて食べながら話した、元寛さんは元寛さんのやうに、馬酔木さんは馬酔木さんのやうに、どちと[#「ちと」に「マヽ」の注記]もすぐれた魂を持つてゐられる。……
元寛さんから餅と数の子とを貰つた、ありがたかつた。
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二本三銭の梅が咲きはじめた
・明日はお正月の数の子まで貰つた
・ぐるりとまはつてまたひとりになる
霜枯れの菊の枯れざま
・霜の大地へコマぶつつける
洟垂息子の独馬[#「馬」に「マヽ」の注記]は強いな
降つてきたのは煤だつた
畠の葉ぼたんのよう売れてさみしくなる
夕ざれは豆腐屋の笛もなつかしく
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十二月卅一日[#「十二月卅一日」に二重傍線] 曇つて寒い、暮れてからは雨になつた、今年もおしまひだ。
嚢中に四銭しかない、三銭で入浴、一銭でヒトモジ一把、文字通りの無一物だ、いかに私でも――師走がない正月がない私でも困るので、夕方、寥平さんを訪ね、事情を明かして少し借りる、いや大いに掠める、寥平さんのすぐれた魂にうたれる。……
見切の白足袋一足十銭、水仙一本弐銭、そして酒一升一円也、――これで私の正月支度は出来た、さあ正月よ、やつてこい!
人間は妙なもので、酒を一杯飲ませて下さいとはいひにくいが、煙草一服貸して下さいとはいひやすい、餅を頂戴しませうとはいひやすけ[#「すけ」に「マヽ」の注記]れど、飯をよばれませうとはいひにくい、思ふに、自分の身に即きすぎた物、いひかへれば必要の度の強い物、誰もが持たなくてはならない物は強請しにくいらしい。
風呂敷といふものは何と便利なものだらう、大小自由だ、大きいものも小さいものも一枚で包める、とてもトランクやケースやバツグが及ばない、たゞモダーンではない。
食べたい時に食べ、寝たい時に寝る、私しやほんとに我がまゝ気まゝ。
偶然[#「偶然」に傍点]のない生活、当然[#「当然」に傍点]のみの生活、必然[#「必然」に傍点]の生活、「あるべき」が「あらずにはゐられない」となつた生活。
忙しい中の静けさ、貧しい中の安らかさ、といつたやうなものを、今日はしみ/″\感じたことである。
寥平さんのおかげで、炊事具少々、端書六十枚、其他こま/″\したものを買ふ、お歳暮を持つて千体仏へ行く、和尚さんもすぐれた魂で私を和げて下さつた。
あんまり気が沈むから二三杯ひつかける、そして人が懐かしうなつて、街をぶらつき、最後にSのところで夜明け近くまで話した(今夜は商店はたいがい徹夜営業である)、酔うて饒舌つて、年忘れしたが、自分自身をも忘れてしまつた。……
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葉ぼたん抜かれる今年も暮れる
今年も今夜かぎりの雨となり
[#ここで字下げ終わり]
それでは昭和五年よ、一九三〇年よ、たいへんお世話になつた、各地の知友福寿長久、十方の施主災障消除、諸縁吉祥ならんことを祈ります。
一月一日[#「一月一日」に二重傍線] 雨、可なり寒い。
いつもより早く起きて、お雑煮、数の子で一本、めでたい気分になつて、Sのところへ行き、年始状を受取る、一年一度の年始状といふものは無用ぢやない、断然有用だと思ふ。
年始郵便といふものをあまり好かない私は、元日に年始状を書く、今日も五十枚ばかり書いた、単に賀正と書いたのでは気がすまないので、いろ/\の事を書く、ずゐぶん労[#「労」に「マヽ」の注記]れた。
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元旦の捨犬が鳴きやめない
売れ残つた葉ぼたん畑のお降り
・水仙いちりんのお正月です
・ひとり煮てひとり食べるお雑煮
[#ここで字下げ終わり]
一月二日[#「一月二日」に二重傍線] 曇后晴、風、人、――お正月らしい場景となつた。
吉例によつて、お屠蘇とお雑煮だけは缺かさない、独り者にも春は来にけり、さても結構なお正月で御座います、午後になつて出かける、まづ千体仏へ、老師はお年始まはりで不在、つぎに茂森さん宅へ、こゝも廻礼でお留守、――歩くのが嫌になつて、人間がうるさくなつて、そのまゝ帰つて来た、夕方、思ひがけなく元坊来訪、今夜また馬酔木居で会合することを約束する、何も御馳走するものがないから密[#「密」に「マヽ」の注記]柑をあげる、私はお雑煮やりそこなひの雑炊を食べて、ぶら/\新市街の雑踏を歩いて、馬酔木さんを訪ねる、いろ/\お正月の御馳走になる、十分きこしめしたことはいふまでもない、だいぶおそくなつてSの店に寄つた、年賀状がきてはゐないかと思つて、――が、それがいけなかつた、彼女の御機嫌がよくないところへ、私が酔つたまぎれに言はなくてもいゝ事を言つた、とう/\喧嘩してしまつた、お互に感情を害して別れる、あゝ何といふ腐れ縁だらう!
暁、火事があつた、裏の窓からよく見えた、私は善い意味での、我不関焉で、火事といふものを鑑賞した(罹災者に対してはほんたうにすまないと思ひながらも)。
さきころまでは何を食べても――水を飲んでさへも――塩つぽく感じたのに、けふこのごろは、何を食べても甘たらしく感じる、何の病気だらうか、しかし近来の私は健康である、今夜も馬酔木居で、肥えたといはれたが、なるほど、私は肥えた、手首を握つて見るに、今までにない大きさである。……
通信費が多いのには閉口する、こゝへ移つてから、転居の通知やら、年始状やらで、もう葉書を百五十枚ぐらいは買つたらう、これではとてもやりきれない(生活費の三割以上を占めるやうになる)、早く三八九を出して、それを利用したい。
[#ここから2字下げ]
先祖代々菩提とぶらふ水仙の花
酔へばけふもあんたの事(緑平さんに)
・うまい手品も寒い寒い風
正月二日の金峰山も晴れてきた
お正月の熊本を見おろす
・もう死ぬる声の捨猫をさがす
自動車も輪飾かざつて走る
持てるものみんな持つて歩いてゐる(老遍路さん)
よい月の葉ぼたんのよさ
追加二句
・訪ねる人もゐない街のぬかるみ
闇をつらぬいて自動車自動車
[#ここで字下げ終わり]
一月三日[#「一月三日」に二重傍線] うらゝか、幸福を感じる日、生きてゐるよろこび、死なゝいよろこび。
――昨夜の事を考へると憂欝になる、彼女の事、そして彼の事、彼等に絡まる私の事、――何となく気になるのでハガキをだす、そして風呂へゆく、垢も煩らひも洗ひ流してしまへ(ハガキの文句は、……昨夜はすまなかつた、酔中の放言許して下さい、お互にあんまりムキにならないで、もつとほがらかに、なごやかに、しめやかにつきあはふではありませんか、……といふ意味だつたが)。
[#ここから2字下げ]
お正月も暮れてまだ羽子をついてゐる
・お正月のまんまるいお月さんだ
夕闇せまりくる独馬をたゝかはせてゐる
おとなしく象は食べものを待つばつかり(有田洋行会所見二句)
食べものに鼻がとゞかない象は
水仙けさも一りんひらいた
・とりとめもなく考へてゐる水仙のかほり
考へてをる水仙ほころびる
水仙ひらかうとするしづけさにをる
・いやな夢見た朝の爪をきる
寝る前の尿する月夜ひろ/″\
よい月夜のび/\と尿するなり
[#ここで字下げ終わり]
当座の感想を書きつけておく。――
恩は着なければならないが、恩に着せてはならない、恩を着せられてはやりきれない。
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