親しまれるのはうれしいが、憐れまれてはみじめだ。
与へる人のよろこびは与へられる人のさびしさとなる、もしほんたうに与へるならば、そしてほんたうに与へられるならば、能所共によろこびでなければならない。
与へられたものを、与へられたまゝに味ふ、それは聖者の境涯だ。
若い人には若い人の句があり、老人には老人の句があるべきである、そしてそれを貫いて流れるものは人間の真実である、句を読む人を感動せしむるものは、句を作る人の感激に外ならない。
父子共に句作者であつて、そしてその句が彼等のいづれの作であるかゞ解らないやうな句を作るやうでは情ない、現今の層雲にはかういふ悲しむべき傾向がある(今月号所載、谷尾さんの苦言は肯綮に当つてゐる、私もかね/″\さう考へてもゐたし、またしば/\口に出して忠告もしてゐた)。
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自嘲一句
詫手紙かいてさうして風呂へゆく
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一月四日[#「一月四日」に二重傍線] 曇、時雨、市中へ、泥濘の感覚!
昨日も今日も閉ぢ籠つて勉強した、暮れてから元寛居を訪ねる、腹いつぱいお正月の御馳走になつて戻つた。
一本二銭の水仙が三輪開いた、日本水仙は全く日本的な草花だと思ふ、花も葉も匂ひも、すべてが単純で清楚で気品が高い、しとやかさ、したしさ、そしてうるはしさを持つてゐる、私の最も好きな草花の一つである。
やうやく平静をとりもどした、誰も来ない一人の一日だつた。
米と塩[#「米と塩」に傍点]――それだけ与へられたら十分だ、水だけは飲まうと思へば、いつだつて飲めるのだが。
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しぐれ、どこかで三味を弾いてる
水兵さんがならんでくる葉ぼたん畑
今年のお正月もお隣りのラヂオ
ひそかに蓄音機かけてしぐれる
けふも返事が来ないしぐれもやう
・ひとり住んで捨てる物なし
二階ずまゐのやすけさのお粥が出来た
お正月もすんで葉ぼたんの雨となつて
さん/″\降りつめられてひとり
ぬかるみふみゆくゆくところがない
・重いもの負うて夜道を戻つて来た
・戻れば水仙咲ききつてゐる
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今夜は途上でうれしい事があつた、Sのところから、明日の句会のために、火鉢を提げて帰る途中だつた、重いもの、どしや降り、道の凹凸に足を踏みすべらして、鼻緒が切れて困つてゐると、そこの家から、すぐと老人が糸と火箸とを持つて来て下さつた、これは小さな出来事、ちよつとした深切であるが、その意義乃至効果は大きいと思ふ、実人生は観念よりも行動である、社会的革命の理論よりも一挙手一投足の労を吝まない人情に頭が下る。……
一月五日[#「一月五日」に二重傍線] 霧が深い、そしてナマ温かい、だん/\晴れた。
朝湯へはいる、私に許された唯一の贅沢だ、日本人は入浴好きだが、それは保健のためでもあり、享楽でもある、殊に朝湯は趣味である、三銭の報償としては、入浴は私に有難過ぎるほどの物を与へてくれる。
次郎[#「郎」に「マヽ」の注記]さんから悲しい手紙が来た、次郎さんの目下の境遇としては、無理からぬことゝは思ふが、それはあまりにセンチメンタルだつた、さつそく返事をあげなければならない、そして平素の厚情に酬ゐなければならない、それにしても、彼は何といふ正直な人だらう、そして彼女は何といふ薄情な女だらう、何にしても三人の子供が可哀想だ、彼等に恵みあれ。
午後はこの部屋で、三八九会第一回の句会を開催した、最初の努力でもあり娯楽でもあつた、来会者は予想通り、稀也、馬酔木、元寛の三君に過ぎなかつたけれど、水入らずの愉快な集まりだつた、句会をすましてから、汽車辨当を買つて来て晩餐会をやつた、うまかつた、私たちにふさはしい会合だつた。
だいぶ酔うて街へ出た、そしてまた彼女の店へ行つた、逢つたところでどうなるのでもないが、やつぱり逢ひたくなる、男と女、私と彼女との交渉ほど妙なものはない。
自転車が、どこにもあるやうに、蓄音機も、どこの家庭にもある、よく普及したものは、地下足袋、ラヂオ、等、等。
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朝霧の赤いポストが立つてゐる
霧の朝日の葉ぼたんのかゞやき
・おみくじひいてかへるぬかるみ
冬日ぬくう毛皮を張る
しぐれ、まいにち他人《ヒト》の銭を数へる
山に向つて久しぶりの大声
灯が一つあつて別れてゆく
葉ぼたん畑よい月がのぼる
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一月六日[#「一月六日」に二重傍線] 雨、何といふ薄気味の悪い暖《ヌク》さだらう、そして何といふ陰欝な空模様だらう。
昨日は大金(今の現状では)を費つたが、今日は殆んど費はなかつた、切手三銭と湯銭三銭とだけ。
隔日に粥を食べることにしてゐる、経済的には僅かしか助からないけれど、急に運動不足になつた胃のためにたいへんよろしい。
次郎さんに手紙を書いた、――その心中を察して余りある事、感傷的になつては詰らない事、気持転換策として禅の本を読まれたい事、一度来訪ありたき事、等、等。
苦痛のために身心を歪曲されるやうでは駄目だ、人生といふものはおのづから道が開けてくるものである、といふよりも、人間は自分自身の道を見出さずには生きられないのである。
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干し物そのまゝにしてしぐれてゐる
・ま夜中、熱いものをすゝる
・食べるもの食べつくしてひとり
とりわけてうつくしい葉ぼたんの日ざし
・ぬくい夜の赤児へ話しかけてゐる
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一月七日[#「一月七日」に二重傍線] 曇、后晴、寒くなつた、冬らしくなつた(昨日から小寒入だ)
銭がなくなつた、餅もなくなつたし米もなくなつた(銭は精確にいへば、まだ十三銭残つてゐるが)。
朝は腹も空いてゐないからお茶を飲んですます、午後は屑うどんを少しばかり買つて食べる、夜は密柑の残つたのを食べる、お茶がやつぱり一等うまい。
昨日も今日もアルコールなしだつた、飲みたいとも思はなかつた、私もやつとアルコールだけは揚棄することが出来ら[#「来ら」に「マヽ」の注記]しい、そして昨日も今日も私一人だつた、訪ねてもゆかず、訪ねてくるものもなかつた、たゞ一人ぢつとして読んでゐた、考へてゐた、そして平静だつた。
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・お茶でもすませる今日が暮れた
・散つては咲く梅の水かへる
寒うなつて葉ぼたんうつくしい
生活の御詠歌うたふも寒いこと
・音たてゝ食べる夜《ヨル》の人
・街の雑音の密柑むく
・星が寒う晴れてくるデパートの窓も
・いちりんのその水仙もしぼんだ
尿する月かくす雲のはやさよ
寒月の捨犬が鳴きつゞける
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一月八日[#「一月八日」に二重傍線] 朝のうちはうらゝかな晴れだつたが、午後は曇つた。
今朝は嫌な事と嬉しい事とがあつた、その二つを相殺しても、まだまだ嬉しさが余りあつた、――といふのは、起きてすぐ前の畠に尿して道を横ぎらうとするところへ、まご/″\走る自動車がやつてきた、彼は巡査だつた、私が尿したのを見たのだらう、そして恐らくは自分のまご/″\を隠すためだらう、そこへ小便してはいかんぢやないか、といひ捨てゝいつた、私は無論何とも答へなかつた、そして彼の没常識を憐んだ、私などはなるたけ小言をいひたくないのに、彼はなるたけ小言がいひたいのだ、とうてい部長にもなれない彼だ、なぜ彼等はあんなにこせ/\するのだらう、――嬉しい事といふのは、郷里の妹からたよりがあつたのだ、ゲルトも送つてくれたし、着物も送つてくれた、私はさつそくその着物をつけて、そのゲルトで買物しい/\歩いた、あゝ何といふ肉縁のあたゝかさだらう!
米を買つた、一升拾六銭だ、米はほんたうに安い、安すぎる、粒々辛苦、そして損々不足などゝ考へざるをえないではないか。
どうも通信費には困る、毎日葉書の五六枚、手紙の二三本書かないことはない、今日は葉書六枚、手紙三本書いた。
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・送つてくれたあたゝかさを着て出る(妹に)
吹いても吹いても飴が売れない鮮人の笛かよ
・向きあつて知るも知らぬも濁酒《ドブ》を飲む(居酒屋にて)
□
かきおきかいておいてさうして(述懐)
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一月九日[#「一月九日」に二重傍線] 雨、曇、晴、曇、雨。
起きると、そのまゝで木炭と豆腐とを買ひに行く、久しぶりに豆腐を味はつた、やつぱり豆腐はうまい。
あんまり憂欝だから二三杯ひつかける、その元気で、彼女を訪ねて炬燵を借りる、酒くさいといつて叱られた。
帰家穏坐とはいへないが、たしかに帰庵閑坐だ。
昨夜も今夜も鶏が鳴きだすまで寝なかつた、寝られなかつた。
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お正月の母子《オヤコ》でうたうてくる
また降りだしてひとりである
ほころびを縫ふほどにしぐれる
・縫うてくれるものがないほころび縫つてゐる
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一月十日[#「一月十日」に二重傍線] 雪が積んでゐる、まだ降つてゐる、風がふく、寒く強く。
近来にない寒さだつた、寒《カン》が一時に押し寄せたやうだつた、手拭も葱も御飯も凍つた、窓から吹雪が吹き込んで閉口した。
ありがたいことには炬燵があつた、粕汁があつた。
朝湯朝酒は勿体ないなあ。
今日は金比羅さんの初縁日で、おまゐりの老若男女が前の街道をぞろ/\通る、信仰は寒さにもめげないのが尊い。
隙洩る風はこの部屋をいかにも佗住居らしくする、そしてその風をこらへて、せくゞまつてゐる自分をいかにも佗人らしくする。……
寒いにつけても、ルンペン時代のつらさを思ひ出さずにはゐられない。
酒ほどうまいものはない、そして酒ほどにがいものはない、――酒ではさんざ苦労した、苦労しすぎた。……
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雪の葉ぼたんのしゞま
さら/\ふりつむ雪見ても
雪夜、隣室は聖書ものがたり
・ヤス[#「ヤス」に「安」の注記]かヤスかサム[#「サム」に「寒」の注記]かサムか雪雪(ふれ売一句)
吹雪吹きこむ窓の下で食べる
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一月十一日[#「一月十一日」に二重傍線] 曇つて晴れる、雪の後のなごやかさ。
いつものやうに、御飯を炊いて、そして汁鍋をかけておいて湯屋へ。――
あんまり寒いから一杯ひつかける、流行感冒にでもかゝつてはつまらないから、といふのはやつぱり嘘だ、酒好きは何のかのといつては飲む、まあ、飲める間に飲んでおくがよからう、飲みたくても飲めない時節があるし、飲めても飲めない時節がある。……
事実を曲げては無論いけない、といつて、事実に囚へられては、また、いけない(句作上に於て殊に然り)。
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あるだけのものを着てあたゝかうをる
・かあいらしい雪兎が解けます
・豆腐屋さんがかちあつた寒い四ツ角
雪の朝の郵便も来ない
雪の夕べをつゝましう生きてゐる
・逢うて戻ればぬかるみ
・十分に食べて雪ふる
雪の夜半の誘惑からのがれてきた
寒[#(ン)]空、二人連れは男と女
[#ここで字下げ終わり]
一月十二日[#「一月十二日」に二重傍線] 曇、陰欝そのものといつたやうな天候だ。
外は雪、内は酒――憂欝を消すものは、いや、融かすものは何か、酒、入浴、談笑、散歩、等、等、私にあつては。
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雪の葉ぼたんの枯れるのか
曇り日の重いもの牽きなやむ
・凍[#(テ)]土をひた走るバスも空つぽ
・雪ふる何も五十銭
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夕方から熊本へ出かける(こゝも市内だけれど、感じでは出かけるのだ)、元寛さん馬酔木兄さんに逢ふ、別れて宵々さんを訪ねる、御夫婦で餅よ飯よと歓待して下さる(咄、酒がなかつた、などといふな)、私はこんなに誰もから歓待されていゝのだらうか。
一月十三日[#「一月十三日」に二重傍線] 曇、今日もまた雪でも降つて来さうな。
苦味生さんから、方向転換の手紙が来た、苦味生さんの気持は解る(苦味生さんに私の気持が解るやうに)、お互に、生きる上に於て、真面目であるならば、人間と人間とのまじはりをつゞ
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