朝湯のこゝろよさ、それを二重にする朝酒のうまさ。

 一月廿五日[#「一月廿五日」に二重傍線] また雨。

午後、稀也さんを見送るべく熊本駅まで出かけたが、どうしても見出せなかつた、新聞を読んで帰つてくると、間もなく馬酔木さんが来訪、続いて元寛さんも来訪、うどんを食べて、同道して出かける、やうやくにして鑪板を買つて貰つた(今夜もまた元寛君のホントウのシンセツに触れた)。
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 また降りだしてひとり
・ぬかるみ、こゝろ触れあうてゆく
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 一月廿六日[#「一月廿六日」に二重傍線] 雨、終日終夜、鉛筆を走らせる。

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 凩の葉ぼたんのかゞやかに
・いちにちいちりんの水仙ひらく
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 一月廿七日[#「一月廿七日」に二重傍線] 晴れて寒い。

一杯やりたいが、湯銭さへもない。
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・握りしめるその手のヒビだらけ
 暮れて寒い土を掘る寒い人
 けふも出来そこなひの飯で寒い
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 一月廿八日[#「一月廿八日」に二重傍線] 晴、霜、ありがたい手紙が来た、来た、来た。

やつと謄写刷が出来た、元寛居を訪ねて喜んで貰ふ、納本、発送、うれしい忙しさ。
入浴して煙草を買ふ、一杯ひつかける。……
生きるとは味ふこと[#「生きるとは味ふこと」に傍点]だ、物そのものを味ふとき生き甲斐を感じる、味ふことの出来ないのが不幸の人だ。
鰯三百目十銭、十四尾あつたから一尾が七厘、何と安い、そして何と肥えた鰯だらう。

 一月廿九日[#「一月廿九日」に二重傍線] 降つて曇つて暖かい、すつかり春だ。

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 犬を洗つてやる爺さん婆さんの日向
・鶏を殺して鶏臭い手を清めてゐる
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夕方、三八九第一集を持つて寥平さんを訪ねる、例の如く飲む、最初は或る蕎麦屋で、しかしそこはヱロ味ぷん/\だから、さらに一日本店で飲み直す、そして最後はタクシーで送られる。
寥平居で、重錐時計といふものを見た、床しい印籠も見た、そして逢へば飲み、飲めば酔ふた次第である。

 一月三十日[#「一月三十日」に二重傍線]

宿酔日和、彼女の厄介になる、不平をいはれ、小言をいたゞく、仕方ない。
夜は茂森さんを訪ねる、そして友情にあまやかされる。

 一月三十一日[#「一月三十一日」に二重傍線]

やつぱり独りがよい。
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 女の話はなしつゞけて袋貼りつゞける
                  (隣室の若者に)
 袋貼り貼り若さを逃がす
・ラジオ声高う寒夜へ話しかけてゐる
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 二月一日[#「二月一日」に二重傍線] 降つたり霽れたり、夜はおぼろ月がうつくしかつた。

三八九第一集を発送して、重荷を下ろしたやうに、ほつとしたことである、心も軽く身も軽くだ。
今日もまた苦味生さんの真情に触れた。
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・笛を吹いても踊らない子供らだ
・あるだけの米を炊いて置く
 競《セ》るほどに売るほどに暮れた
・逢ふまへのたんぽゝ咲いてゐる
 一杯やりたい夕焼空
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俳句は一生の道草とはおもしろい言葉かな。

 二月二日[#「二月二日」に二重傍線] また雨、何といふ嫌らしい雨だらう。

私も人並に風邪気味になつてゐる。
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更けてやつと出来た御飯が半熟
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ゲルトが手にいつたので、何よりもまづ米を、炭を、そして醤油を買つた(空気がタダなのはほんたうに有難いことだ)。

 二月三日[#「二月三日」に二重傍線] 曇、よく眠られた朝の快さ。

生きるも死ぬるも仏の心、ゆくもかへるも仏の心。
不思議な暖かさである、『寒の春』といふ造語が必要だ、気味の悪い暖かさでもある。
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・こゝに住みなれてヒビアカギレ
・つゝましう存らへてあたゝかい飯
・豆腐屋の笛で夕餉にする
 日の落ちる方へ尿してゐる
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馬酔木居を訪ねてビールの御馳走になる、私は至るところで、そしてあらゆる人から恵まれてゐる、それがうれしくもあればさびしくもある。
子供はお宝、オタカラ/\というてあやしてゐる。

 二月四日[#「二月四日」に二重傍線] 雨、節分、寒明け。

ひとりで、しづかで、きらくで。
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・ひとりはなれてぬかるみをふむ
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 二月五日[#「二月五日」に二重傍線] まだ降つてゐる、春雨のやうな、また五月雨のやうな。

毎日、うれしい手紙がくる。
雨風の一人、泥濘の一人、幸福の一人、寂静の一人だつた。
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・雨のおみくじも凶か
 凩、書きつゞけてゐる
・ひとりの火おこす
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  味取在住時代 三句
久しぶりに掃く垣根の花が咲いてゐる
けふも托鉢、こゝもかしこも花ざかり
ねむり深い村を見おろし尿する
  追加一句
松はみな枝たれて南無観世音(味取観音堂の耕畝として)
  行乞途上
旅法衣ふきまくる風にまかす
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底本:「山頭火全集 第三巻」春陽堂書店
   1986(昭和61)年5月25日第1刷発行
   1989(平成元)年3月20日第4刷
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:さくらんぼ
校正:門田裕志、小林繁雄
2008年3月20日作成
青空文庫作成ファイル:
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