親しまれるのはうれしいが、憐れまれてはみじめだ。
与へる人のよろこびは与へられる人のさびしさとなる、もしほんたうに与へるならば、そしてほんたうに与へられるならば、能所共によろこびでなければならない。
与へられたものを、与へられたまゝに味ふ、それは聖者の境涯だ。
若い人には若い人の句があり、老人には老人の句があるべきである、そしてそれを貫いて流れるものは人間の真実である、句を読む人を感動せしむるものは、句を作る人の感激に外ならない。
父子共に句作者であつて、そしてその句が彼等のいづれの作であるかゞ解らないやうな句を作るやうでは情ない、現今の層雲にはかういふ悲しむべき傾向がある(今月号所載、谷尾さんの苦言は肯綮に当つてゐる、私もかね/″\さう考へてもゐたし、またしば/\口に出して忠告もしてゐた)。
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  自嘲一句
詫手紙かいてさうして風呂へゆく
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 一月四日[#「一月四日」に二重傍線] 曇、時雨、市中へ、泥濘の感覚!

昨日も今日も閉ぢ籠つて勉強した、暮れてから元寛居を訪ねる、腹いつぱいお正月の御馳走になつて戻つた。
一本二銭の水仙が三輪開
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