寝床をしいてくれた、老主人は昔、船頭として京浜地方まで泳ぎまはつたといふ苦労人だ、例の男の酔態に対しても平然として処置を誤まらない、しかし、蒲団だけは何といつてもよろしくない、私は酔うてゐなかつたらその臭気紛々でとても寝つかれなかつたらう、朝、眼が覚めると、飛び起きたほどだ。
酔漢が寝床に追ひやられた後で、鋳掛屋さんと話す、私が槍さびを唄つて彼が踊つた、ノンキすぎるけれど、かういふ旅では珍らしい逸興だつた、しかし興に乗りすぎて嚢中二十六銭しか残つてゐない、少し心細いね――嚢中自無銭!
十月十九日[#「十月十九日」に二重傍線] 曇、時々雨、行程五里、妻町、藤屋( [#「 」に「マヽ」の注記] )
因果歴然、歩きたうないが歩かなければならない、昨夜、飲み余したビールを持ち帰つてゐたので、まづそれを飲む、その勢で草鞋を穿く、昨日の自分を忘れるために、今日の糧を頂戴するために、そして妻局留置の郵便物を受取るために(酒のうまいやうに、友のたよりはなつかしい)。
妻まで五里の山路、大正十五年に一度踏んだ土である、あの時はもう二度とこの山も見ることはあるまいと思つたことであるが、命があつて縁が
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