てしまつた、お天気がよくなの[#「なの」に「マヽ」の注記]で、しばらく清明の月を仰がない、月! 月! 月は東洋的日本的乃至仏教的禅宗的である。
寝ては覚め、覚めては寝る、夢を見ては起き、起きてはまた夢を見る――いろ/\さま/″\の夢を見た、聖人に夢なしといふが、夢は凡夫の一杯酒だ、それはヱチールでなくてメチールだけれど。

 十一月八日[#「十一月八日」に二重傍線] 雨、行程五里、|湯ノ原《ユノハル》、米屋(三五・中)

やつぱり降つてはゐるけれど小降りになつた、滞在は経済と気分とが許さない、すつかり雨支度して出立する、しようことなしに草鞋でなしに地下足袋(草鞋が破れ易いのとハネがあがるために)、何だか私にはそぐはない。
九時から一時間ばかり竹田町行乞、そしてどし/″\歩く、村の少年と道づれになる(一昨々日、毛布売の青年と連れだつたやうに)、明治村、長湯村、赤岩といふところの景勝はよかつた、雑木山と水声と霧との合奏楽であり、墨絵の巻物であつた、三時近くなつて湯ノ原着、また一時間ばかり行乞、宿に荷をおろしてから洗濯、入浴、理髪、喫飯(飲酒は書くまでもない)、――いやはや忙しいことだ。
竹田といふところはほんたうにトンネルが多い、入るに八つくゞつたが、出るに五つくゞつた、それはトンネルと書くよりは洞門と書いた方がよい。
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・雨だれの音も年とつた
・一寝入してまた旅のたより書く
 酔ひざめの水をさがすや竹田の宿で
 朝の鶏で犬にくはれた
 谷の紅葉のしたゝる水です
・しぐるゝ山芋を掘つてゐる
 ぼう/\として山霧につゝまれる
・いちにちわれとわが足音を聴きつゝ歩む
・水飲んで尿して去る
[#ここで字下げ終わり]
こゝは片田舎だけれど、さすがに温泉場だけのよいところはある(小国には及ばないが)、殊に浴場はきたないけれど、解放的で大衆的なのがよい、着いてすぐ一浴、床屋から戻つてまた一浴、寝しなにも起きがけにもまた/\一浴のつもりだ! 湯の味は何だか甘酸つぱくて、とても飲めない、からだにはきけるやうな気がする、とにかく私は入浴する時はいつも日本に生れた幸福を考へずにはゐられない、入浴ほど健全で安価な享楽はあまりあるまい。
造り酒屋へ行つたら、酒がよくてやすかつたので、おぼえず一杯二杯三杯までひつかけてしまつた、うまいことはうまかつたが、胃が少々悪くなつたらしい、明日はたくさん水をのまう。
夜もすがら瀬音がたえない、それは私には子守唄だつた、湯と酒と水とが私をぐつすり寝させてくれた。

 十一月九日[#「十一月九日」に二重傍線] 晴、曇、雨、后晴、天神山、阿南《アナミ》屋(三〇・中)


暗いうちに眼が覚めてすぐ湯へゆく、ぽか/\温かい身心で七時出発、昨日の道もよかつたが、今日の道はもつとよかつた、たゞ山のうつくしさ、水のうつくしさと書いておく、五里ばかり歩いて一時前に小野屋についたが、ざつと降つて来た、或る農家で雨宿りさせて貰ふ、お茶をいたゞく、二時間ばかり腰かけてゐるうちに、いろんな人々が来て、神様の事、仏様の事、酒の事、等々々、そのうちにやうやく霽れてきた、小野屋といふ感じのわるくない村町を一時間ばかり行乞して、それから半里歩いて此宿へついた。
昨夜の湯の原の宿はわるくなかつた、子供が三人、それがみんな掃除したり応対したりする、いただいてゐてそのまゝにしてゐた密[#「密」に「マヽ」の注記]柑と菓子とをあげる、継母継子ではないかとも思ふ、――とにかく悪くない宿だつた、燠を持つてくる、めづらしく炭がはいつてゐる、お茶を持つてゐ[#「ゐ」に「マヽ」の注記]る、お茶受としてはおきまりの漬物だが、菜漬がぐつさり添へてある、そして温泉には入り放題だ。
朝湯――殊に温泉――は何ともいへない心持だ、湯壺にぢと[#「ぢと」に「マヽ」の注記]してゐる時は無何有郷の遊び人だ、不可得、無所得、ぼうばくとしてナムカラタンノウトラヤヤ……。
今日は草鞋をはいた、白足袋の感じだけでも草鞋はいゝ、いはんや草鞋はつかれない、足についてくる(地下足袋にひきずられるとは反対に)、さく/\として歩む気持は何ともいへない。
歩いてゐて、ふと左手を見ると、高い山がなかば霧にかくれてゐる、疑ひもなく久住山だ、大船山高岳と重なつてゐる、そこのお爺さんに山の事を訊ねてゐると――彼は聾だつたから何が何だか解らなかつた――そのうちにもう霧がそこら一面を包んでしまつた。
家々に唐黍の実がずらりと並べ下げてあるのは、いかにも山国らしい、うれしい風景である(唐黍飯には閉口だけれど)。
道ゆく人々がみんな行きずりに、お早うといふ、学校生徒は只今々々といふ(今日は日曜だが、午後は只今帰りましたといふ)、これも山国らしい嬉しい情景の一つである(その癖、行乞の時は御免が割合に多い
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