、まだそこまではゆけない、新聞によつて現代社会相と接触を保つてゐる訳だ。
今日はまた湯屋で、ほんたうの一番風呂だつた、湯加減もよかつたので、たつたひとり、のび/\と手足を伸ばした気持は何ともいへなかつた、殊にそこの噴井の水はうまかつた、腹いつぱい飲んだことである。
アルコールのおかげで、ぐつすり寝た、お天気もよいらしい、いゝ気分である、人生の最大幸福はよき食慾とよき睡眠だ。
いつ頃からか、また小さい蜘蛛が網代笠に巣喰うてゐる、何と可愛い生き物だらう、行乞の時、ぶらさがつたりまひあがつたりする、何かおいしいものをやりたいが、さて何をやつたものだらう。

 十一月六日[#「十一月六日」に二重傍線] 晴后曇、行程六里、竹田町、朝日屋(三五・中)

急に寒くなつた、吐く息が白く見える、八時近くなつてから出発する、牧口、緒方といふ村町を行乞する、牧口といふところは人間はあまりよくないが、土地はなか/\よい、丘の上にあつて四方の連山を見遙かす眺望は気に入つた、緒方では或る家に呼び入れられて回向した、おかみさんがソウトクフ(曹洞宗の意味!)といつて、たいへん喜んで下さつたが、皮肉をいへば、その喜びとお布施とは反比例してゐた、また造り酒屋で一杯ひつかけた、安くて多かつたのはうれしかつた、そこからこゝまでの二里の山路はよかつた、丘から丘へ、上るかと思へば下り、下るかと思へば上る、そして水の音、雑木紅葉――私の最も好きな風景である、ずゐぶん急いだけれど、去年馴染の此宿へついたのは、もう電燈がついてからだつた、すぐ入浴、そして一杯、往生安楽国!
竹田は蓮根町といはれてゐるだけあつてトンネルの多いのには驚ろく、こゝへくるまでにも八つの洞門をくゞつたのである。
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・すこしさみしうてこのはがきかく(元寛氏、時雨亭氏に)
・あなたの足袋でこゝまで三十里(闘牛児氏に)
 百舌鳥ないてパツと明るうなる
・飯のうまさもひとりかみしめて
・最後の一粒を味ふ
・名残ダリヤ枯れんとして美しい
 犬が尾をふる柿がうれてゐる
 腰かける岩を覚えてゐる
・よろ/\歩いて故郷の方へ
・筧あふるゝ水に住む人なし
 枯山のけむり一すぢ
 かうして旅の山々の紅葉
・ゆきずりの旅人同志で話つきない
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此宿はよいといふほどではない、まあ中に位する、或る人々は悪いといふかも知れないが、私には可もなく不可もなし、どちらかといへばよい方である、何となくゆつくりしてゐておちついてゐられるから。
また主人公も妻君も上手はないが好人物だ、内証もよいらしく、小鳥三十羽ばかり飼うてゐる、子がないせいでもあらうけれど。
坊主枕はよかつた、こんな些事でもうれしくて旅情を紛らすことができる、汽車の響はよくない、それを見るのは尚ほいけない、こゝからK市へは近いから、一円五十銭の三時間で帰れば帰られる、感情が多少動揺しても無理はなからうぢやないか。
夜もすがら水声が聞える、曽良の句に、夜もすがら秋風きくや裏の山、といふのがあつたやうに覚えてゐるが、それに同じて
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夜をこめて水が流れる秋の宿
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同宿の老人はたしかに変人奇人に違ひない、金持ださうなが、見すぼらしい風采で、いつも酒を飲み本を読んでゐる。

 十一月七日[#「十一月七日」に二重傍線] 曇、夕方から雨、竹田町行乞、宿は同前。

雨かと思つてゐたのに案外のお天気である、しかし雨が近いことは疑はなかつた、果して曇が寒い雨となつた。
九時から四時まで行乞、昨年と大差はないが、少しは少ないが、米が安いのは的確にこたえる、やうやく地下足袋を買ふことができた、白足袋に草鞋が好きだけれど、雨天には破れ易くてハネがあがつて困るから、感じのよいわるいをいつてはゐられない。
こゝの唐辛の砂糖煮、味噌汁、煎茶はうまい、九州ほど茶を飲むところは稀だが、私も茶飲み連中の一人となつてしまつた。
今日の行乞相も及第はたしかだ、行乞相がいゝとかわるいとかいふのは行乞者が被行乞者に勝つか負けるかによる、いひかへれば、心が境のために動かされるか動かされる[#「る」に「マヽ」の注記]かによる、随処為主の心境に近いか遠いかによる(その心境になりきることは到底望めない、凡夫のあさましさだ、同時に凡夫のよさだ、ともいへやう)。
町の酒屋で二杯ひつかけたので、ほろ/\酔うた、微酔の気地[#「地」に「マヽ」の注記]は何ともいへない、しかしとかく乱酔泥酔になつて困る、もつともさうなるだけ酒がうまいのだが!
今夜も夜もすがら水音がたえない、階下は何だか人声がうるさい、雨声はトタン屋根をうつてもわるくない、――人間に対すれば憎愛がおこる、自然に向へばゆう/\かん/\おだやかに生きてをれる。
月! 芋明月も豆明月も過ぎ
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