こに時代錯誤的な実益と趣味とが隠されてゐる。
このあたりの山も海もうつくしい、水も悪くない、ほんの少しの塩分を含んでゐるらしい、私のやうな他郷のものにはそれが解るけれど、地の人々には解らないさうだ、生れてから飲みなれた水の味はあまり飲みなれて解らないものらしい、これも興味のある事実である。
夜おそくなつて、国勢調査員がやつてきて、いろ/\訊ねた、先回の国勢調査は味取でうけた、次回の時には何処で受けるか、或は墓の下か、いや、墓なぞは建てゝくれる人もあるまいし、建てゝ貰ひたい望みもないから、野末の土くれの一片となつてしまつてゐるだらうか、いや/\まだ/\業が尽きないらしいから、どこかでやつぱり思ひ悩んでゐるだらう。
元坊にあげたハガキに、――とにかく俳句(それが古くても新しくても)といふものはやつぱり夏爐冬扇ですね、またそれで十分ぢやありませんか、直接其場の仕事に役立たないところに俳句のよさがあるのではないでせうか、私共はあまり考へないでその時その時の感動を句として表現したいと思ひます。
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夕日まぶしい銅像を仰ぐ
涸れはてゝ沼底の藻草となつてしまつて
波の音たえずしてふる郷遠し
波音遠くなり近くなり余命いくばくぞ
お茶を下さる真黒な手で
青島即事
・白浪おしよせてくる虫の声
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十月一日[#「十月一日」に二重傍線] 曇、午后は雨、伊比井、田浦といふ家(七〇・中)
よう寝られて早う眼が覚めた、音のしないやうに戸を繰つて空を眺める、雨かも知れない、しかし滞留は財布が許さない、九時から十一時まで、そこらあたりを行乞、それから一里半ほど内海《ウチウミ》まで歩く、峠を登ると大海にそうて波の音、波の色がたえず身心にしみいる、内海についたのは一時、二時間ばかり行乞する、間違ひなく降り出したので教へられた家を尋ねて一泊を頼んだが、何とか彼とかいつて要領を得ない(田舎者は、yes no をはつきりいはない)、思ひ切つて濡れて歩むことまた一里半、こゝまで来たが、安宿は満員、教へられてこの家に泊めて貰ふ、この家も近く宿屋を初めるつもりらしい、投込だから木賃よりもだいぶ高い、しかし主人も妻君も深切なのがうれしかつた、何故だか気が滅入りこんでくるので、藷焼酎三杯ひつかけて、ぐつすりと寝てしまつた。
労れて宿に着いて、風呂のないのは寂しくもあり嫌でもある、私は思ふ、日本人には入浴ほど安価な享楽はない。
朝夕の涼しさ、そして日中の暑さ。
今日此頃の新漬――菜漬のおいしさはどうだ、ことに昨日のそれはおいしかつた、私が漬物の味を知つたのは四十を過ぎてからである、日本人として漬物と味噌汁と(そして豆腐と)のうまさを味はひえないものは何といふ不幸だらう(さういふ不幸は日本人らしい日本人にはないけれど)。
酒のうまさを知ることは幸福でもあり不幸でもある、いはゞ不幸な幸福であらうか、『不幸にして酒の趣味を解し……』といふやうな文章を読んだことはないか知ら、酒飲みと酒好きとは別物だが、酒好きの多くは酒飲みだ、一合は一合の不幸、一升は一升の不幸、一杯二杯三杯で陶然として自然人生に同化するのが幸福だ(こゝでまた若山牧水、葛西善蔵、そして放哉坊を思ひ出さずにはゐられない、酔うてニコ/\するのが本当だ、酔うて乱れるのは無理な酒を飲むからである)。
今日、歩きつゝつく/″\思つたことである、――汽車があるのに、自動車があるのに、歩くのは、しかも草鞋をはいて歩くのは、何といふ時代おくれの不経済な骨折だらう(事実、今日の道を自動車と自転車とは時々通つたが、歩く人には殆んど逢はなかつた)、然り而して、その馬鹿らしさを敢て行ふところに、悧巧でない私の存在理由があるのだ。
自動車で思ひ出したが、自動車は埃のお接待をしてくれる、摂取不捨、何物でも戴かなければならない私は、法衣に浴せかけられた泥に向つても合掌しなければならないのだらう。
今日の特種としては、見晴らしのいゝ路傍に蹇車を見出した事だつた、破れ着物を張りまはした中から、ぬつと大きな汚ない足が一本出てゐた(その片足は恐らく見るかげもなく頽れてしまつてゐるのだらう)、彼は海と山との間に悠々として太平の夢を楽しんでゐるのだ、『おい同行さん』とその乞食君(私としては呼び捨てには出来ない)に話しかけたかつたが彼の唯一の慰めともいふべき睡眠を妨げることを恐れて、黙つて眺めて通り過ぎたが。
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泊めてくれない村のしぐれを歩く
こゝろつかれて山が海がうつくしすぎる
岩のあひだにも畠があつて南瓜咲いてる
・波音の稲がよう熟れてゐる
・蕎麦の花にも少年の日がなつかしい
労れて足を雨にうたせる
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十月二日[#「十月二日」に二重傍線] 雨、
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