示を与へる、どん底まで掘ればいゝが、生半端に掘つたところよりも、むしろ浅いところによい水が湧くこともあるといふことは知つておくがよからう。
けふは大淀駅近くの、アンテナのある家で柄杓に二杯、生目社の下で一杯、景清廟の前で二杯、十分に水を飲んだことである。
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   途上即事
 笠の蝗の病んでゐる
・死ぬるばかりの蝗を草へ放つ
 放ちやる蝗うごかない
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今夜同宿の行商人は苦労人だ、話にソツがなくてウルホヒがある、ホントウの苦労人はいゝ。

 九月廿九日[#「九月廿九日」に二重傍線] 晴、宿は同前、上印をつけてあげる。

気持よく起きて障子を開けると、今、太陽の昇るところである、文字通りに「日と共に起き」たのである、或は雨かと気遣つてゐたのに、まことに秋空一碧、身心のすが/\しさは何ともいへない、食後ゆつくりして九時から三時まで遊楽地を行乞、明日はいよ/\都会を去つて山水の間に入らうと思ふ、知人俳友にハガキを書く。
此宿は座敷も賄も、夜具も待遇もよいけれど、子供がうるさく便所の汚いのが疵だ、そしていかにも料理がまづい、あれだけの材料にもう少しの調理法を加へたならばどんなに客が満足することだらう。
今日の行乞中に二人、昨日は一人の不遜な中年女にでくわした、古い型の旧式女性から、女のしほらしさ、あたゝかさ、すなほさを除いて、何が残るか!
子供が声張りあげて草津節をうたつてゐる、「草津よいとこ一度はおぢやれ、お湯の中にも花が咲く」チヨイナ/\、ほんとうにうまいものである、私はぢつとそれに耳を傾けながら物思ひに耽つてゐるのである、――此間の年数五十年相経ち申し候だらうな。
両手が急に黒くなつた、毎日鉄鉢をさゝげてゐるので、秋日に焼けたのである、流浪者の全身、特に顔面は誰でも日に焼けて黒い、日に焼けると同時に、世間の風に焼けるのである、黒いのはよい、濁つてはかない[#「い」に「マヽ」の注記]ない。
行乞中、しば/\自分は供養をうけるに値しないことを感ぜざるをえない場合がある、昨日も今日もあつた、早く通り過ぎるやうにする、貧しい家から全財産の何分一かと思はれるほど米を与へられるとき、或はなるたけ立たないやうにする仕事場などで、主人がわざ/\働く手を休ませて蟇口を探つて銅貨の一二□を鉄鉢に投げ入れてくれるとき。……
同宿の修行遍路――いづれ炭坑夫などのドマグレで、からだには鯨青のあとがある手合だらう――酔ひしれて、宿のものを手古摺らし同宿人の眉を顰めさせてゐる、此地方では酔うて管を巻くことを山芋を掘るといふ、これも面白い言葉である。
言葉といへば此辺の言葉はアクセントが何だか妙で、私には解らないことが多い、言葉の解らない寂しさ、それも旅人のやるせなさの一つである。

 九月三十日[#「九月三十日」に二重傍線] 秋晴申分なし、折生迫、角屋(旅館・中)

いよ/\出立した、市街を後にして田園に踏み入つて、何となくホツとした気持になる、山が水が、そして友が私を慰めいたはり救ひ助けてくれる。
こゝまで四里の道すがら行乞したが、すつかり労れてしまつた、おまけにボクチンに泊りそこなつて(あのボクチンのマダムは何といふ無智無愛嬌だつたらう)旅館に泊つた、一室一燈を占有して、のんびりと読んだり書いたりする、この安らかさは、二十銭三十銭には代へられない、此宿はかなり広い家だが、お客さんとしては私一人だ、主人公も家内もみな好人物だけれど、不景気風に吹きまくられてゐるらしい。
青島を見物した、檳榔樹が何となく弱々しく、そして浜万年青がいかにも生々してゐたのが印象として残つてゐる、島の井戸――青島神社境内――の水を飲んだが、塩気らしいものが感じられなかつた――その水の味もまた忘れえぬものである。
久しぶりに海を見た、果もない大洋のかなたから押し寄せて砕けて、白い波を眺めるのも悪くなかつた(宮崎の宿では毎夜波音が枕にまで響いた、私は海の動揺よりも山の閑寂を愛するやうになつてゐる)。
今日、途上で見たり聞いたり思ひついたりしたことを書きつけておかう、昔の客馬車をそのまゝ荷馬車にして老人が町から村へといろ/\の雑貨を運んでゐた、また草原で休んでゐると、年とつたおかみさんがやつてきて、占い(ウラカタ)はしないかといふ、また、或る家で、うつくしいキジ猫二匹を見た、撫でゝやりたいやうな衝動を感じた。
今日、求めた草鞋は(此辺にはあまり草鞋を売つてゐない)よかつた、草鞋がしつくりと足についた気分は、私のやうな旅人のみが知る嬉しさである、芭蕉は旅の願ひとしてよい宿とよい草鞋とをあげた、それは今も昔も変らない、心も軽く身も軽く歩いて、心おきのない、情のあたゝかい宿におちついた旅人はほんとうに幸福である。
いはゞ草鞋は時代錯誤的な履物である、そ
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