ふよりも非人情的態度の人々に対すると、多少の憤慨と憐愍とを感じないではゐられない、さういふ場合には私は観音経を読誦しつゞける、今日もさういふ場合が三度あつた、三度は多過ぎる。
吊り下げられた鉤にひつかゝる魚、投げ与へられた団子を追うて走る犬、さういふ魚や犬となつてはならない、さうならないための修行である、今日も自から省みて自から恥ぢ自から鞭つた。
寒い、気分が重い、ぼんやりして道を横ぎらうとして、あはや自動車に轢かれんとした、危いことだつた、もつともそのまゝ死んでしまへば却つてよかつたのだが、半死半生では全く以て困り入る。
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 あふるゝ朝湯のしづけさにひたる(湯口温泉)
・こゝちようねる今宵は由布岳の下
 下車客五六人に楓めざましく
 雑木紅葉のぼりついてトンネル
 尿してゐる朝の山どつしりとすはつてゐる
・自動車に轢かれんとして寒い寒い道
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昨日の宿は申分なかつたが、今日の宿もよい、二十五銭でこれだけの待遇をして貰つては何だかすまないやうな気がする、着くと温かい言葉、炭火、お茶、お茶請(それは漬物だけれど)そして何でも気持よくやつて下さる。……
同宿の坊さん、彼は真言宗だといつてゐたが、とにかく一癖ある人間だつた、今は眼が悪く年をとつたのでおとなしいが、ちよいちよい昔の負けじ魂を押へきれないやうだ。

 十一月十四日[#「十一月十四日」に二重傍線] 霧、霜、曇、――山国の特徴を発揮してゐる、日田屋(三〇・中)

前の小川で顔を洗ふ、寒いので九時近くなつて冷たい草鞋を穿く、河一つ隔てゝ森町、しかしこの河一つが何といふ相違だらう、玖珠町では殆んどすべての家が御免で、森町では殆んどすべての家がいさぎよく報謝して下さる、二時過ぎまで行乞、街はづれの宿へ帰つてまた街へ出かけて、造り酒屋が三軒あるので一杯づゝ飲んでまはる、そしてすつかりいゝ気持になる、三十銭の幸福だ、しかしそれはバベルの塔の幸福よりも確実だ。
森町は、絵葉書には谿郷と書いてあるけれど、山郷といつた方がいゝ、末広神社へ詣つて九州アルプスを見渡した風景はよかつた、町の中に森あり原あり、家あり石あり、そこがいゝ。
岩扇山といふはおもしろい姿だ、頂上の平ぺつたい岩が扇を開いたやうな形をしてゐる、耶馬渓の風景のプロローグだ、私は奇勝とか絶景とかいはれるものは好かないが、その山は眺めて悪くない。
此宿も悪くない、広くて静かだ、相当の人が落魄して、かういふ安宿をやつてゐるらしい、漬物がおいしい、お婆さんが深切だ。
今日は雑木山でおべんたうを開いた、よかつた。
朝が冷たかつたほど昼は暖かだつた。
浜口首相狙撃さる――さういふ新聞通信を見た時、私は修証義を読みつゝ行乞してゐた、――無情忽ちに到るときは国王大王親眤従僕助くるなし、たゞ独り黄泉に赴くのみなり、己れに随ひゆくは善悪業等のみなり。――
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 おべんたうをひらく落葉ちりくる
 大銀杏散りつくしたる大空
・落葉散りしくまゝで住んでゐる
 ゆふべ、片輪の蜘蛛がはいあるく
・また逢うた支那の子供が話しかける
 西へ北へ支那の子供は私は去る
 歩いても眺めても知らない顔ばかり
 鉄鉢、散りくる葉をうけた
 水飲んでルンペンのやすけさをたどる
 支那人の寝言きいてゐて寒い
・虱よ捻りつぶしたが
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明日の事――深耶馬の渓谷美や、昧々さんとの再会や何や彼や――を考へて興奮したからだらう、二時頃まで寝られなかつた、かういふ身心では困るけれど、どうにもしようがない。
今夜も例の支那軽業師と同宿、また同宿の同郷人と話した、言葉の魅力といつたやうなものを感じる。
近来しみ/″\感じるのであるが、一路を辿る、愚に返る、本然を守る――それが私に与へられた、いや残された最後の、そして唯一の生き方だ、そこに句がある、酒がある、ともいへやう。
このあたりも菊作りがさかんだ、小屋までかけて観せるべく並べてある、私も観せて貰つた、あまり好きではないが。
一室一人(但し半燈)もよかつた、宿の人々、同宿の人々がやさしいのもうれしかつた。

 十一月十五日[#「十一月十五日」に二重傍線] 晴、行程七里、中津、昧々居(最上々々)

いよ/\深耶馬渓を下る日である、もちろん行乞なんかはしない、悠然として山を観るのである、お天気もよい、気分もよい、七時半出立、草鞋の工合もよい、巻煙草をふかしながら、ゆつたりした歩調で歩む、岩扇山を右に見てツイキ[#「ツイキ」に傍線]の洞門まで一里、こゝから道は下りとなつて深耶馬の風景が歩々に展開されるのである、――深耶馬渓はさすがによかつた、といふよりも渓谷が狭くて人家や田園のないのが私の好尚にかなつたのであらう、とにかく失望しなかつた、気持がさつさうとし
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