つかつたらしい、それを持つてきて鉄鉢に入れて下さつた、見ると五厘銅貨である、多分お婆さん、その銅貨をどこかで拾ひでもしてその抽出しに入れておいたのだらう、そして私が立つたので、それを思ひだして喜捨して下さつたのだらう、空気の報謝――これも一※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]話――よりも罪はないが、少々慾張りすぎてゐますね、お婆さんは多分五厘で極楽へゆくつもりだらう、慾張り爺さんが一銭で大願成就を神様に押しつけるやうにさ!
此宿も悪くないけれど、いや、良い方だけれど、水に乏しく風呂を立てないのは困る、今夜も私は五六里歩いてきた身体そのまゝで寝なければならなかつた、もちろん湯屋なんかありはしないから。
今夜も水声がたえない、アルコールのおかげで辛うじて眠る、いろんな夢を見た、よい夢、わるい夢、懺悔の夢、故郷の夢、青春の夢、少年の夢、家庭の夢、僧院の夢、ずゐぶんいろんな夢を見るものだ。
味ふ――物そのものを味ふ――貧しい人は貧しさに徹する、愚かなものは愚かさに徹する――与へられた、といふよりも持つて生れた性情を尽す――そこに人生、いや、人生の意味があるのぢやあるまいか。
十一月十日[#「十一月十日」に二重傍線] 雨、晴、曇、行程三里、湯ノ平温泉、大分屋(四〇・中)
夜が長い、そして年寄は眼が覚めやすい、暗いうちに起きる、そして『旅人芭蕉』を読む、井師の見識に感じ苦味生さんの温情に感じる、ありがたい本だ(これで三度読む、六年前、二年前、そして今日)。
冷たい雨が降つてゐるし、腹工合もよくないので、滞在休養して原稿でも書かうと思つてゐたら、だん/\霽れて青空が見えて来た、十時過ぎて濡れた草鞋を穿く、すこし冷たい、山国らしくてよろしい、沿道のところ/″\を行乞して湯ノ平温泉といふこゝへ着いたのは四時、さつそく一浴一杯、ぶら/\そこらあたりを歩いたことである。
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△秋風の[#「秋風の」に「(しぐるゝや)」の注記]旅人になりきつてゐる
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こゝ湯ノ平といふところは気に入つた、いかにも山の湯の町らしい、石だゝみ、宿屋、万屋《よろづや》、湯坪、料理屋、等々々、おもしろいね。
ルンペンの第六感[#「ルンペンの第六感」に傍点]、さういふ第六感を、幸か不幸か、私も与へられてゐる、人は誰でも五感を通り越して第六感に到つて、多少話せる。
朝寒夜寒、山の谷の宿はうすら寒い、もう借衣ではいけないらしい、どなたか、綿入一枚寄附してくだされ、ハイカシコマリマシタ、呵々。
これは行乞ヱピソードの一つで――嘘を教へる、しかも母が子に嘘を教へる、――さういふ微苦笑劇の一シーンに時々出くわす――今日もさういふことがあつた、――御免、お御免、留守、留守と子供がいふ、子供はさういふけれど母親はゐるのだ、ゐて知らない顔をしてゐるのだ、――子供は正直にいふ、お母さんが留守だといへといつたといふ――多分、いや間違ひなく、彼女は主婦の友か婦女界の愛読者だらう、そして主婦の友乃至婦女界の実現者ではないのだらう。
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・いちにち雨ふり一隅を守つてゐた(木賃宿生活)
あんたのことを考へつゞけて歩きつゞけて
・大空の下にして御飯のひかり
・貧しう住んでこれだけの菊を咲かせてゐる(改作)
阿蘇がなつかしいりんだうの花[#「の花」に「(ひらく)」の注記]
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人生の幸福は健康であるが、健康はよき食慾とよき睡眠[#「よき食慾とよき睡眠」に傍点]との賜物である、私はよき――むしろ、よすぎるほどの食慾を恵まれてゐるが、どうも睡眠はよくない、いつも不眠或は不安な睡眠に悩んでゐる、睡られないなどゝはまことに横着だと思ふのだが。
此温泉はほんたうに気に入つた、山もよく水もよい、湯は勿論よい、宿もよい、といふ訳で、よく飲んでよく食べてよく寝た、ほんたうによい一夜だつた。
こゝの湯は熱くて豊かだ、浴して気持がよく、飲んでもうまい、茶の代りにがぶ/\飲んでゐるやうだ、そして身心に利きさうな気がする、などゝすつかり浴泉気分になつてしまつた。
十一月十一日[#「十一月十一日」に二重傍線] 晴、時雨、――初霰、滞在、宿は同前。
山峡は早く暮れて遅く明ける、九時から十一時まで行乞、かなり大きな旅館があるが、こゝは夏さかりの冬がれで、どこにもあまりお客さんはないらしい。
午後は休養、流れにはいつて洗濯する、そしてそれを河原に干す、それまではよかつたが、日和癖でざつとしぐれてきた、私は読書してゐて何も知らなかつたが(谿声がさう/\と響くので)宿の娘さんが、そこまで走つて行つて持つて帰つて下さつたのは、じつさいありがたかつた。
こゝの湯は胃腸病に効験いちじるしいさうなが、それを浴びるよりも
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