は眼ざましいというよりも涙ぐましいものであった。
昭和七年九月二十日、私は其中庵の主となった。
私が探し求めていた其中庵は熊本にはなかった、嬉野にも川棚にもなかった。ふる郷のほとりの山裾にあった。茶の木をめぐらし、柿の木にかこまれ、木の葉が散りかけ、虫があつまり、百舌鳥が啼きかける廃屋にあった。
廃人、廃屋に入る。
それは最も自然で、最も相応しているではないか。水の流れるような推移ではないか。自然が、御仏が友人を通して指示する生活とはいえなかろうか。
今にして思えば、私は長く川棚には落ちつけなかったろう(幸雄兄の温情にここで改めてお礼を申しあげる)。川棚には温泉はあるけれど、ここのような閑寂がない。しめやかさがない。
私は山を愛する。高山名山には親しめないが、名もない山、見すぼらしい山を楽しむ。
ここは水に乏しいけれど、すこしのぼれば、雑草の中からしみじみと湧き出る泉がある。
私は雑木が好きだ。この頃の櫨《はぜ》の葉のうつくしさはどうだ。夜ふけて、そこはかとなく散る木の葉の音、おりおり思いだしたように落ちる木の実の音、それに聴き入るとき、私は御仏の声を感じる。
雨
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