、そこには樹明兄がいる。そのさきには敬治兄がいる。その近くのA村は水が清くて山がしずかだった。それを私ははっきりと記憶している。

『もし川棚の方がいけないようでしたら、ここにも庵居するに似合な家がないでもありませんよ。』此夏二度目に樹明兄を訪ねてきた時、兄が洩らした会話の一節だった。私はその時はまだ川棚に執着していたので、その深切だけを頂戴した。それが今はその深切の実を頂戴すべく、ひょうぜんとしてやってきたのである。
 或る家の裏座敷に取り敢えず落ちついた。鍋、釜、俎板、庖丁、米、炭、等々と自炊の道具が備えられた。
 二人でその家を見分に出かけた。山手の里を辿って、その奥の森の傍、夏草が茂りたいだけ茂った中に、草葺の小家があった。久しく風雨に任せてあったので、屋根は漏り壁は落ちていても、そこには私をひきつける何物かがあった。
 私はすっかり気に入った。一日も早く移って来たい希望を述べた。樹明兄は喜んで万事の交渉に当ってくれた。
 屋根が葺きかえられる。便所が改築される(というのは、独身者は老衰の場合を予想しておかなければならないから)。畳を敷いて障子を張る。――樹明兄、冬村兄の活動振
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