に出るより外はなかった。
何処へ行く、東の方へ行こう。何処まで行く、其中庵のあるところまで。
六年が暮れて七年の正月には、私は緑平居でお屠蘇を頂戴していた。そしてボタ山を眺めながら話し合っていた。
ここで、其中庵の第二石が置かれた。今暫らく行乞の旅を続けているうちに、造庵の方法を講じてあげるとのことであった。
私は身も心も軽く草鞋を穿いた。あの桜の老樹の青葉若葉を心に描きながら坂を下りて行った。
福岡へ、唐津へ、長崎へ、それから島原へ、佐賀へ、神湊へ、八幡へ、戸幡へ、小倉へ、門司へ、そしておもいでふかい海峡を渡った。
徳山、小郡、――この小郡に庵居するようになろうとは、私も樹明兄も共に予期していなかった。因縁所生、物は在るところのものに成る。
句集の原稿は、緑平居で層雲から写してまとめたが、句数は僅々百数十句に過ぎなかった。これが、これだけが行乞流転七年の結晶であった。
私はその句稿を頭陀袋におさめて歩きつづけた。石を磨いて玉にしようとは思わないが、石には石だけの光があろう、磨いて、磨いて、磨きあげて、せめて石は石だけの光を出そうと努めるのが、私のような下根のな
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