は狂つたような叫び声を上げた。
「おや――佐太郎さん」
烈しい驚きに圧倒されたその顔は、明らかに佐太郎が考えていたような赤の他人のそれではなかつた。
「やあ、初世ちや――」
佐太郎が言うと同時に、初世は猫にねらわれた鼠みたいに、真ツ直に佐太郎のわきをすりぬけて、表てに駈け出して行つた。
どこに行つたんだろうと、佐太郎は呆気にとられてポカンと突ツ立つていた。急に背中のズダ袋の重みが身にこたえて来た。
上りがまちに荷をおろそうと、そつちに歩み出したときだつた。
「佐太郎、戻つて来たツてか」
狂つたような声が、佐太郎の耳の穴をこじ開けるように響いて来た。それは、まさしく母のタミの声であつた。
タミの後から跛足《びつこ》をひきながらやつて来るのは父親の源治であつた。
源治のあとには、初世の紅い顔がのぞいていた。
「今来たよ」
はじけるようにふくらむ胸をおさえて、思わず知らず唸つた佐太郎の眼に、父母の顔に重つて、初世の紅い顔が焼きついて来た。
四
長男ではあるし他に働き手はないのだから滅多なことには召集は来ないだろうと、高をくくつていた佐太郎を、戦地にもつて行
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