経痛で足の不自由な老父をわずらわせる気にならず、何の前触れもしなかつた。だから迎えられないのは当然ではあつたが、しかし途中はいいとして、家に着いても家族の顔がないのには、流石にいい気持ではなかつた。
 小学校の同級生である喜一が多分自分より一足先に戦地から帰つているはずの西隣に、佐太郎はズダ袋を背負つたままで行つてみた。だが、そこもまるで人影がなかつた。戸口の土間に入つて行つてみると、暗い厩の閂棒の下から、山羊が一頭、怪訝な顔をのぞかせているだけだつた。
 途中はなるべく知つた人の顔を避けるようにして来たのであつたが、こういうことになつてみると、急に誰か家族か身近の者の顔が一刻も早く見たくなつて、佐太郎は家族の者が多分出ているはずの田圃の見える家裏の小高い丘に、駈け上つて行つた。
 熊笹を折り敷いて、そこにドツカと腰をおろして、胡桃《くるみ》の枝の間から、下の田圃を眺めやつた。
 なるほど、部落の誰彼の姿はそこいらに見えた。が、そこに五、六枚かたまつている佐太郎の家の田圃は、二番掘のまま水もひかない姿でひろがつているだけで、人影は見えなかつた。
 と、そのとき、佐太郎は一人の若い女が長
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