そこで舞台上においては、真実よりもある場合には誇張も必要であり、また省略することも必要となる。舞台の上を走るのに、われわれが実際に地上を走ると同じようにランニングを行ったのでは、走る感じが出ない。
それと同じ心で、料理屋の料理は、家庭料理を美化し、定型化して、舞台にかけるところの、料理における芝居なのである。ただし、これが名優の演技にならねばいかんのだ。われわれが料理屋の料理をいかんというのは、その料理人が名優でないからである。
これを書についていってみるならば、書は日常の用に立てる手紙とか日記とか、ひとに書のうまさを見せるのが目的で書いたものでないのが本当の書である。書における実人生なのである。だから書としては、これがいちばん純真な美的価値を有するわけである。しかし、これを軸にして床の間に掛けて楽しむとか、額に入れて欄間の飾りにするとかするには、よほどの人でないかぎりどうもそれではよくない。ここにおいて書にもまた、これを美化し、定型化するような芝居が演ぜられる。書家の書がすなわちこれである。
だが、多くの場合もこの書なるものが、料理人と同じく名優の名技ではない。だから、その書が
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