らない。自由人には医者がいうような偏食の弊《へい》はない。偏食が災いするまでには、口のほうで飽《あ》きが来て、転食するから心配はない。
*
売ることを目的としてつくった料理が料理として発達し、日本料理の名をなしている。また一面、富豪《ふごう》が多数の来賓《らいひん》を招いて饗宴《きょうえん》する料理、体裁を主とした装飾料理があって、これもまた一種の日本料理として早くから発達し、その存在が許されている。
このほかに庶民が日常食として親しみを持つ郷土料理があって、これをお惣菜《そうざい》と呼び、日本食の代表的な地位を占め、日本人一億人ありとせば、九千五百万人はお惣菜という簡易日本料理によって生活し、これはこれなりに、愚《おろ》かながらも旧来の食に楽しみをもっているようである。
しかし、万人《ばんにん》が日常食とするお惣菜料理の大部分は、あきらめの料理であって気の毒である。高いものは食えない、料理の工夫は知らない、旧慣をあり難《がた》いものにして、自分たちはこれでよいのだとあきらめているからである。
これにつけ込んだというわけでもあるまい、放送料理という困った料理放送が続い
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