供を騙《だま》すような料理をつくることは、料理人の無恥《むち》を物語るものであろう。
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日本料理といっても、一概《いちがい》にこれが日本料理だと簡単にいい切れるものではない。いい切った後から、とやかくと問題が起こり、水掛《みずかけ》論が長びき、焦点がぼけてしまうのが常だからだ。昔もそうだが、近頃ではなお更《さら》である。
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日本人が常に刺身《さしみ》を愛し、常食するゆえんは、自然の味、天然の味、すなわち加工の味以上に尊重するところである、と私は思っている。
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すべて本来の持ち味をこわさないことが料理の要訣《ようけつ》である。これができれば俯仰《ふぎょう》天地《てんち》に愧《は》ずるなき料理人であり、これ以上はないともいえる。
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次が美の問題である。
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料理も美味《うま》い物好き、よい物好き、なにかと上物《じょうもの》好き、いわばぜいたく者であってこそ、筋の通った料理が生まれるのである。
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味に自信なき者は料理に無駄《むだ》な手数をかける。
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低級な食器にあまんじている者は、それだけの料理し
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