材料の眼利《めき》きが肝心《かんじん》である。これは今まであまりいわれなかったが、従来の料理論のエアポケットだ。どのだいこんが、どのたいが、どのかつおぶしが美味いか、という鑑定、これがまず第一で、これを今まではお留守にしていた。これを抜かしては問題にならん。材料を見分ける力をまずつけること。こぶでも、ピンからキリまである。つまり、人絹《じんけん》と本絹《ほんけん》との区分で、自然のものにも人絹みたいなつまらんものもある。
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 なんでもすべて基礎工事が大切だが、食物でもまず基礎教育が必要だ。豚でもいろいろある。何貫目ぐらいの豚、たいでも何百|匁《もんめ》のたい、というふうに行かねばならぬ。鶏《にわとり》でも年|老《と》ったのは不味《まず》い。卵を生む前のが美味い。かように鶏といっても千差万別である。
 また料理では加減が大切だ。同じ材料でも、加減次第で美味くも不味くもなる。加減を知ること、それには料理でも、やはり、学ぶことが必要で、群盲《ぐんもう》象《ぞう》を撫《な》ずるようなことではいけない。
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 料理を美味く食わすという点からいえば、同じものでもよい器に容《い
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