れよりはるかに効果は大きい。
 塩は万歳《まんざい》に似ていると思え。一合の汁に入れた塩の十倍を一升の汁に入れて煮て見|給《たま》え。集団すれば強くなるのは人間だけとはかぎらない。
     *
 料理を教えるのに、塩何グラム、砂糖何|匁《もんめ》などと、正確に出すなら、ねぎを適宜《てきぎ》に刻《きざ》み、塩胡椒《しおこしょう》少々などというな。なになにを何グラムというような料理法を、科学的文化人の生活だと思っている人がある。科学的文化人とは、塩何グラムではなく、科学する生活態度を身につけた自由人のことである。
     *
 野蛮人《やばんじん》には、歯磨き粉を呑《の》ませても、胃病がなおるということだ。
 ライスカレーをつくる時、メリケン粉と炭酸をまちがえて入れる人が居はせぬか。しかも、食べてなおかつ気付かぬ人も、なきにしもあらず……。ただし、こんな料理は胃病のときにかぎりつくれ。
     *
 料理をする時は、女の人は特に頭を手拭《てぬぐい》でカバーして料理すべし。ふけや髪の毛は味の素の代用にはならぬ。
     *
 美味《うま》いもの食いの道楽《どうらく》は健康への投資と心得よ。
     *
 日本料理は日本の美しい器にて、これは茶道にてきわめられている。けれども、今日《こんにち》の日本料理はもっと豊富なものになっている。また、科学的方面からも考察されている。われわれの味覚の嗜好《しこう》にも変化を来たしている。料理に使用される材料にしても、時代的な変遷《へんせん》が大《おお》いにあるであろう。今日の料理の堕落《だらく》は商業主義に独占されたからだと考えられる。家庭の料理は滅びる。家庭の料理が滅びることは、それだけ心身ともに不健康な人間が多くなることだ。
     *
 料理に一番大事なことといえば、それは材料のよしあしを識《し》ることである。材料のさかな、あるいは蔬菜《そさい》など、優れてよいものを用いる場合は、料理は、おのずから易々《いい》たるものである。よほど頓馬《とんま》な真似《まね》をしないかぎり、美味《うま》い料理のできるのが当然である。
 例えば瀬戸内海の生きのよいさかながあって、それが折りわるく下手《へた》な料理人の手にかかったとしても、種がよいために、どうにかこうにか美味く食えるものである。野菜にしても、京都のものなどで、新しいものを
前へ 次へ
全11ページ中9ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
北大路 魯山人 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング