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料理界を見渡して、紳士と呼ばるべきものが、料理屋の主人にもせよ、職人にもせよ、一人もいないということは、今日の料理がどんなものであるかということを、もっとも雄弁に物語る。彼等の多くは普通教育的の教養さえもなく、もちろん、書物を読むでなく、趣味を解する者などは一人もない。そこで今さら教育しようにも教育のしようがない。少なくとも今日まではそうであった。今後といえども、おそらくそうであろう。彼等は料理というものを、一段下がった下等な仕事だとみずから思い込んでいるもののごとくである。
そのことは彼等のすることなすことなに一つ見ても、みなそうである。
例えば料理屋の家を見るがよい。その建築を見ると、彼等のいわゆるイキな建物なるものが、いかに低級卑俗であるかがわかる。金のないためにゴマカシ建築をするのも不快であるが、しかし、これはまだ経済的問題だから仕方がないといえば仕方がない。ところが、いわゆる凝った普請なるものは、相当の費用をかけて、彼等としては理想を実現しているわけであるが、その凝り方がいかにも低級なのである。
それはなぜかといえば、彼等はよい建築というもの
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