あの食べ物についてやかましい紳士が、こういうことをいう以上、ともかく、料理として最上のものを作って食わせようというのが、魚料理を始めた方針であると思われる。
僕の思うのに、○氏はなるほどなかなかの食通で、うまい料理は食って知っている。だから食わせればうまい料理か、まずい料理かは分るに違いない。しかし、そこに並べてあった魚も、あの人が目をとおしたに違いないが、魚のよしあしは残念ながら分らない。おそらく、それでよいと思ったか、少なくとも、それでも料理人の腕次第で、これで立派な料理が出来るものと考えたか、いずれかに違いない。
しかも、開業日に並べたててみせる魚がこれだから、それで僕にはこれはいけないと思われた。案の定、料理は食われたものではなかった。
料理はその意味で、なんといっても材料が第一である。材料がよければ料理人の腕が少々鈍くとも甘ければ甘いなりに、辛ければ辛いなりに出来る。
しかし、これを食うひとの方からいえば、まず料理人がどうだこうだという話で、そんなことに騙されて、これはうまいだろうと考えるのが、いわば軽薄であるというより他はない。どこにいようと、だめなものはだめである
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