もが、漫然出来得ると軽率にも誤認し、それを空《むな》しく求めているだけだと、私の常識と経験はいつでも断言を吝《おし》まないのである。
 これについて私は余計なことをと、他の誹《そし》りあることをよく知りながら、ぜひともこの問題を解剖し解決しようためにその仔細を開陳したいのである。それについて引例を便宜上前山さんにとることは、先の失敗もあることゆえ私はよほど考えたのであるが、かつて素人窯を築いた如上の人々の中で現在なおかつ、窯事の研究に没頭していられるのは前山久吉翁一人であるからいわば人身御供《ひとみごくう》に上らされたわけである。あえて翁を相手に戦うのでないことだけは翁においても諒承《りょうしょう》されたい。
 住友さんについてはどんな望みをもって製陶に臨まれたか、私はよく知悉《ちしつ》しない……が、氏は篆刻を鉄城に学んでみ、あるいは富岡鉄斎翁の画を臨写してみずから発表するなど一方ならぬ趣味人であり、かつまた清湘老人の画に巨金を投じて複製を世に配した位の好者でありする点から見て、その望まれる陶磁器もそのネライが奈辺《なへん》いかなるところにあるかは察するに難くないが、いずれにしても氏は
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