創作的の識見を表現するのみにして、今日これを国宝に選びつつあるは決して偶然ではない。そこで、この偉大な仁清の作品に着眼し、これが再現を期すべく発奮した翁の愛美心と勇猛心と時流を厭《あ》きたらずとする努力には、さすが前山翁であると、私もその企図的精神に感歎《かんたん》し、賞賛|措《お》く能《あた》わざる一人ではあるが、ただし惜しむらくは、これが実現上、識者に図るところなく、熟考を軽率にして、不用意にも独断をもって、ひそかに京師の陶工一、二を拉致《らち》し、必然的に成就を夢のごとく見、かつ画学生の力をもって仁清の深遠なる絢爛をやすやすと生み出し、多くの好事家、鑑賞家、愛陶家をしてアッと讃歎《さんたん》せしめんものと、潜行的野望を懐かれた窯であったことは千慮の一失ともいうべきで、このところ永い過去の生活に世の辛苦を嘗《な》め尽くし、思いのままに今日の成功を見られたと見るべき前山久吉翁の所業としては、はなはだ合点がゆかな過ぎる結果を生み残念であった。
しかし、さすがのがんばり翁もその自家窯何回かの失敗に教えらるところあり、最初の空想は事実上不首尾におわったことを自覚し、これが幻滅を感じられた
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