大家達であろうが、それらの人たちの筆からは、仁清が生まれようはずのないことはあまりにも保証される。それはすべての現代新画が、如実に内容貧弱を物語っていることで分る。このうち、強いて適者? として抜擢《ばってき》するならば靭彦《ゆきひこ》、古径両氏の筆技と人品であろう。またしてもしばしば余談にわたることを謝すが、遠慮なくいうならば今の画人の絵というものはいわば体裁よき表面があるのみであって、芸術上必須の条件となるべきよき内容を有するものは見当たらない現状である。例えば、それは生花、挿花の美しさである。一見「根」あるものと区別を分たざる美しさを示してはいるが、もとより「根」あるものはないから、いかに美しくも実を結ぶべくもないと同様である。仁清は日本に純日本ふう彩色の製作陶未だ生まれざる今から約三百年前において初めて製作成功を収め、他方いずれもが朝鮮、中国の著しい影響を蒙《こうむ》らざるものなき当時にあって、にわかに彼一人がぜんぜん朝鮮、中国の存在を夢にも知らざるもののごとく、純日本単味の製作陶を創作し得たという偉材であった。その絵、その轆轤、その図案、ただただ仁清という一大芸術的特色、一大
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