であるならば私らの見るところとして、この場合の翁の処置妙案? は申しようもない、恐ろしい矛盾と錯覚からなる、非常識な創見を発揮したものとみなさざるを得ない。
いやしくも日本陶芸史上ゆゆしき陶芸作家として日本の誇りとし日本の国宝とする仁清は、憚り多いことをいうようだが、翁のように今の今まで陶磁製作上無関心者であって、その気まぐれ、ちょっとしたはずみの出来心から名工仁清が浮かび出ようはずのないことは火を見るより明らかであるとせねばならぬ。況やたかが美校学生の画力で彼の仁清を再現しようなどとは思いもよらぬ妄想である。
仁清というものそんなにたやすいものであるならば、さほどあり難いものではないという結論が当然と生まれはしないだろうか。それならば、わざわざそれが再現を期すべく努力を払う行為はこれまた矛盾の誹りを免がれないであろう。
僭越ながら私の経験から語れば、今日現存の轆轤工に仁清を解するものないこと、工作する者のなきことは誰に憚るところもなく断言し得られる。絵付けにおいてもまたそれと同じ意味を繰り返し決して不可ないと考えられるのである。一美校の学生はもとより、これが教授であろうが、他の
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