い。この点は翁みずからも充分了解していただけるものと信じ、しばらく素人本窯築くべからずの参考資料に上っていただく。

 さて、前山翁最初の製陶目的は彼《か》の偉材仁清であったらしい。まず仁清ふうを工人に轆轤させてと考えられ、次に絵付けとなる、と考えるにも考えられたもので美校生を招かれたという。このことはよく美校の校長に擬せられ、とかくの話題に上る某日本画教授の口から私が聞いた話である。
 私はこれを知って翁のために同情もすれば、苦笑もした。翁は仁清という大天才をなんと解していられるのかは知らないのだが、仁清ほどの特異な実在を再び造り出さんと自負する大望の翁が、一美校生を招きそれに仁清ふうの絵付けを託し、もって目的を達せんとせられたのはなんとしても認識を具《そな》えた所業と受け取ることは出来なかった。みずから翁らにしてみれば今の陶画工では清水坂以上の仁清は描き得べくもない。
 それには美校の生徒をもってすれば、職工と違い指導次第では理解も出来、卑しからざる絵が出来よう、本歌を見せて語れば成功疑いなし、と……こう考えられ自分ながら妙案明知が創見されたごとくホクソ笑まれたらしい。果たしてそう
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