く紳士的であるとしてもないとしても、かなりに目のよく利く好者であることは、私の睹《み》る目をもってしても間違いは無いつもりである。
 この一事をもって考えるとしても、翁たる者進んで廃窯の道を採るの挙がいかに賢明であり、いかに人物を大きくすることか分らない。人間は我もある程度に必要である……が、土俵割るも未だ負けを承服しないという田舎角力であってはならない。勝ちは勝ち、負けは負けと水の流れるごとく素直でなくてはよくあるまい。勝ち必ずしも名誉とはかぎらない。負け必ずしも不面目とはかぎらない。や、これはこれは失礼、うかうか、釈迦に説法……脱線の儀は平に平に謝し奉る。

      (四)

 またしても前山久吉翁の製陶遊戯を引例して恐縮に堪えないと思っている。これはことによると、誤解の生ずる惟《こ》れなしと保険はつけられない程度に危険があって、自分も懸念しないわけではないが、現在、窯をもって理想的に名陶を作り出さんとし、もっぱらその成功を望んでいられる関係上、自然と風向きがその方に趣《おもむ》くのはまことに止むを得ないことである。これが前山翁であるがための引例でないことはもとよりいうまでもな
前へ 次へ
全28ページ中17ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
北大路 魯山人 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング