的に弓を引きますのと二つありまして、世間でいいますところの芸というものは初めからこの的を目指してやっているのであります。それから例えば帝展とか、院展とかの絵とか、彫刻というものは初めから芸術的と職工的、これを目指していっているのであります。それでこの芸術的というのは主として心的とか、あるいは熱的とかいう内容を持っている。芸術はとりもなおさず内容を主とするものである。外貌《がいぼう》じゃない、それで絵でも御承知の通り今もっともやかましくいわれておりますようなものには、一般に御承知の法隆寺の壁画でありますとか、あるいは推古仏とかいうようなものでありますとか、尊いものがありますが、それらは主として内容が尊いのであります。もとより一つの工作でありますから技術もあります。理知も働いております。けれども価値の主なるものはこの内容が尊い。それに引き比べまして職工的の方は外貌、外側の非常によく見えるように理知的に工夫する。例えば極端な例をあげましたら、箱根細工のようなものは、ちょっと出来ないような木を組合わせた緻密《ちみつ》な細工がしてあります。そういうようなものは、どこまで進んで行っても職工的であっ
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