ない、中国の字というのはそれは体裁ばかりがよいのであります。技巧的でありまして、形がよく、書にもし約束というものがありと致しますれば、その書の約束通りに行き届いた書が書けている。故にまあ知らないというのは失礼ですが、知らない人間から見た時に中国の書が大変立派に見えるが、知る者からは内容価値がちっともない。ちょうど立派な風采だけをつけたようなもので、容貌風采、出立《いでだち》がよいのであります。その出立に日本人は眩惑《げんわく》されております。それでありますから内容を見ない人間から見ますと非常によく見えるのであります。例えば羽織袴で立派な風采をしている人があっても、それが必ずしも立派な人間でない場合があります。中国の書はインチキではありませぬが、大体容貌風采がよいだけであります。内容価値が少ない、書の尊いということはやはり美術的人格価値が尊いのでありまして、よい書になればなるほど美術的人格価値があるのであります。絵におきましてもいうまでもない。彫刻におきましてもいうまでもない。いずれも美術的人格価値が高い場合においてその名が高いのであります。古陶磁がやはりそれと同じでありまして、値段の高
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