か不純と化し、真実の美というものは、それらの人々の俗欲の目には絶対に飛び込んでつき合ってはくれないことになっている。名画墨跡を膝下《しっか》に展《ひら》くも、名器を目前に陳《なら》ぶるも、道具屋一流の囚われた見方以外には一歩も前進してはくれない。俗欲を身につけることほど美の探求、真理の探求を邪魔するものはない。そういう大切な一事を露知るところのない者たちは、道具屋は道具屋の昔からいい習わしというものの紋切り型を口上とし、茶人は茶人でのいい習わしを紋切り型で次代へ次代へとわけもなく伝え遺し、見識とすべき一事を遺していく者は皆無に近い。近時、独創の見解は誰からも一向発表されてはいない。天才の生まれ出でざる証拠であろう。従って美というものに理解なき彼ら、芸術の魂を知らざる彼ら、物の恐ろしさというものをぜんぜん知らないようだ。起居動作、用語の弁、いずれも彼らだけのいとも小さな世界にだけ喜ばれる常套《じょうとう》語をもって、十人が十人紋切り型の交語が飛ぶ。それは声色の声色であり、声帯模写のそのまた声帯模写である。個性のひらめきを持ち合わさない人々、こんな習わしを不思議としない虚脱趣味の世界、これ
前へ
次へ
全19ページ中10ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
北大路 魯山人 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング