れ出て来たのは久吉翁である。もともとこの人土俵の外に投げ出されたとて敗《ま》けたとはいわぬという日下開山、これが名越の自邸に築窯したのである。仁清を再現さそう、志野を作りたい、井戸茶碗も作ろう、望むところはすこぶる高い。しかし、ために京から招いたのが、今様染付屋さんで茶のありようがない。まず第一回の失敗を経験し、こんどこそとばかり再び招きよせたのは瀬戸の職工、掃除もすれば台所の走り使いもするという調法な工人、これをつかまえて仁清を作れ、志野を作れ、井戸をと……職人は拙くも俺が指導して出来ないことがあるはずはない、昔遠州だってみな人を指導して作ったものだ……大変な大気焔をもっていわゆる指導に当たったのはいうまでもない。が出来たものは猫の飯茶碗のみが山と重ねられたまでであった。世間に合わす顔がなく憤死したわけでもなかろうが、七、八年続いた後、彼は他界してしまった。力のない職人、芸術の天分を有さない作人、美に関心なき工人、個性のない人間、豊かさを持ち合わさない貧しい質の持主、これらをとらえて稀に存在する名品に相似たものを再現さしてみんと、これに野心を持つことほど愚かしいことはまたとあるまい。
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