、自邸に窯を築き陶人を招き、所蔵の名器を展示し、数年に渉り風雅陶の再現を試みたのであったが、吾人の見るところではぜんぜん失敗に終わってしまったのである。これは鈍翁の考え方に最初から真実が欠けており、従って不純に出発しており、所詮浅薄の誹りを免がれない挙措であったのである。かような次第にして、そこに芸術の生まれようはずのないことは、論議の余地がないのである。況や、陶工を駆使して大業を成しとげんとなすがごときは、滑稽といわざるを得ない。このような失態を目前に見ながら、またぞろ人もあろうに、御殿山氏の陶工を招いて、青山氏が自邸に築窯を試みたということ、物の理解のない仕打ちもここまで来てはなんと評する言葉もない始末である。両者とも数多《あまた》美術品は蒐《あつ》めてみても、美の魂とかかわりなくつき合ってきた者というものは、真にみじめなもので、御殿山氏といい、青山翁といい、俺が俺がでうるさいまでの指導をやってみたことであろうが、なにが出来るものではなかったのである。
その次に剽軽《ひょうきん》者として、両者の失敗をつぶさに見て取っているにもかかわらず、しからば乃公《だいこう》がと、またまた現わ
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