作人は一人もいないのである。豊太閤が大茶会をやったような時代の空気は今の社会には求められないのである。昔の物は昔の空気が生んだのだ。昔の社会がそうさせたのだと観念すべきではないか。醜い茶碗以外になにも生まれぬ今日の社会は、社会そのものが醜いことになっているのだ。その醜い社会でなんで美しい茶碗が生まれ出よう。それを付焼刃してでもと、無理注文いう茶家の指導で茶碗が生まれるなど考えることはこの上もない向こう見ずである。もし茶家の指導で茶碗が生まれるとすれば、茶の中に代々育つ京の楽《らく》家は、代々茶碗を生んでいなければならない理屈になる。一人ぐらいから以後は、吾人のもって喜ぶに足るような茶碗は生まれていないではないか。吉左衛門《きちざえもん》どころではない不吉左衛門ばかり続いているのはどうしたことか。茶の中に代々育っている茶碗の家元にして、だんだんとその作格の社会風潮とともに劣ってゆくことはいかんとも致し方のない現実であって、例外の天才を迎えないかぎりどうしようもないことなのである。徳川末期に良寛和尚が生まれたような奇跡の事象が生ぜぬかぎり、今を昔に返すことはむずかしい。
 かつて御殿山氏は
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