といえばこれくらいいらぬお世話はないかも知れない。この節の語でいえば、干渉する資格なき者の不当干渉である。干渉の効果に深く考えおよばない不当干渉である。見通しの明白でない干渉、相手の器量に無頓着な干渉、まったく閑人《ひまじん》にかかっちゃかなわない……と、いいたいところである。今の陶器職人なんて筆者の口からきっぱり決めてかかることは、いささかはばかり多いが、実はまことにたわいもない存在なのである。名茶碗の見どころ、約束など講釈してみたところで、職人の実生活となんのかかわりもないことなのである。釜師、庭師、竹切りと、次々親切者はそれぞれの講釈はしてみたかろうが、所詮かいないことである。それこそ火を見るより明らかといえよう。野暮なおせっかいと心ある者は失笑するばかりである。
 茶を弁えたる者からいえば、今の茶碗では茶が飲めないと歎《なげ》く……が、それは仕方のないことなのである。あえて茶碗にかぎるのではない。なにからなにまでみなその類ではないか、みじめなものばかりの現世である。なまなか昔を知ったからとて、今に望むのはまったく無理な注文である。日本中探し廻ったとて昔三百年前に見たような茶碗の
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