ごろの料理屋風景である。しかし、私はこの実情を憂《うれ》うるものではない。否《いな》、むしろ推奨したいひとりである。
従来は、無知なるが故《ゆえ》に恐れ、無知なるが故に恵まれず、無知なるが故に斃《たお》れ、不見識にもこの毒魚を征服する道を知らず、この海産、日本周辺に充満する天下の美味を顧《かえり》みなかったのである。今もって無知なる当局の取締方針など、このまま無責任に放置せず、あり余るこの魚族を有毒との理由から、むやみと放棄し来《きた》った過去の無定見《むていけん》を反省し、さらにさらに研究して、ふぐの存在を充分有意義ならしめたいと私は望んでいる。
ふぐは果して毒魚だろうか。中毒する恐れがあるかないか。ふぐを料理し、好んで食った私の経験からすると、ふぐには決して中毒しないといいたい。
今を去る十五、六年前かと思うが、確か「大阪毎日新聞」に次のような有益な記事が掲載されていた。それを切り抜いて、ご紹介する。九州帝大医学部福田得志博士が中心になり、過去七年間、この問題を検討した結果である。
以下は同博士の話。
「私は過去七年間、河豚《ふぐ》毒の問題を再検討して、次の毒力表を得た。
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