、もともと宿命的に決定されているものだ。いたずらに死に恐怖を感ずるのは、常識至らずして、未だ人生を悟らないからではないか。
 さて、このふぐという奴《やつ》、猛毒魚だというので、人を撃ち、人を恐れ戦《おのの》かしめているが、それがためにふぐの存在は、古来広く鳴り響き、人の好奇心も動かされている。しかし、人間の知能の前には毒魚も征服されてしまった。
 人間はふぐの有毒部分を取り除き、天下の美味を誇る部分をのみ、危惧《きぐ》なく舌に運ぶことを発見したのだ。東京を一例に挙げてみても、今やふぐは味覚の王者として君臨し、群魚の美味など、ものの数でなからしめた。ためにふぐ料理専門の料理店は頓《とみ》に増加し、社用族によって占領されている形である。関西ならば、サラリーマンも常連も軒先で楽しみ得るが、東京はお手軽にいかない怨《うら》みがある。下関《しものせき》から運ばれるふぐは、東京における最高位の魚価をもっている。
 この価格も一流料理屋では、もとより問題ではない。のれんを誇った料理の老舗《しにせ》も、「ふぐは扱いません」などとはいっておられず、我も我もとふぐ料理の看板を上げつつあるのが、きょうこの
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