洗いをつくったこれはあら[#「あら」に傍点]だという。
私はずいぶんぜいたくなことをする人もいるものだなあと驚き、かつ感心した。それ以来、鮎を洗いにつくって食う法もあるということを覚えた。しかし、その後ずっと貧乏書生であった私には、そんなぜいたくは許されず、食う機会がなかった。それでも、今からもう二十五年も昔になるが、遂《つい》に私もこの洗いを思う存分賞味する機会を得た。加賀の山中《やまなか》温泉に逗留《とうりゅう》していた時のことである。
山中温泉の町はずれに、蟋蟀《こおろぎ》橋という床《ゆか》しい名前の橋があり、その橋のたもとに増喜楼《ぞうきろう》という料理屋があった。鮎《あゆ》とか、ごりとか、いわなとか、そういった深い幽谷《ゆうこく》に産する魚類が常に生かしてあって、しかも、それが安かった。鄙《ひな》びた山の中の温泉には、ろくに食うものがないから、飯《めし》を食おうと思えば、どうしてもそこへ行くよりほかはなかった。
そんなわけで、私はよく増喜楼へ人といっしょに食いに行った。そうした渓魚《けいぎょ》を食っているときに、ふと子どもの頃知った鮎の洗いのことを思い出した。鮎も安かっ
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