い》なさかなだ。それでも産地によって、多少の美醜《びしゅう》がないでもない。
 鮎は容姿が美しく、光り輝いているものほど、味においても上等である。それだけに、焼き方の手際のよしあしは、鮎食いにとって決定的な要素をもっている。
 美味く食うには、勢い産地に行き、一流どころで食う以外に手はない。一番理想的なのは、釣ったものを、その場で焼いて食うことだろう。
 鮎は塩焼にして食うのが一般的になっているが、上等の鮎を洗いづくりにして食うことも非常なご馳走《ちそう》だ。
 私がまだ子どもで、京都にいた頃のことであった。ある日、魚屋が鮎の頭と骨ばかりをたくさん持ってきた。鮎の身を取った残りのもの、つまり鮎のあら[#「あら」に傍点]だ。小魚のあら[#「あら」に傍点]なんていうのはおかしいが、なんといっても鮎であるから、それを焼いてだし[#「だし」に傍点]にするとか、または焼き豆腐やなにかといっしょに煮て食うと美味いにはちがいない。
 それにしても、こんなにたくさんあるとはいったいどういうわけだろうと、子ども心にふしぎに思って聞いてみた。すると、魚屋のいうのには、京都の三井《みつい》さんの注文で、鮎の
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