後《うご》の筍《たけのこ》どころのさわぎではない。しかし、われわれがいう寿司らしい寿司を作る店は、そうたやすく見当たるものではなかった。われわれとて、軒並食って歩いたわけではないが、通りがかりに横目《よこめ》で見て、上・中・下どんな寿司を売る店か分るのである。もちろん、こうなるまでには、大分《だいぶ》寿司代を払《はら》っている。心ある者は贅沢屋《ぜいたくや》の評判ある有名店に飛び込んで経験するほかに近道はなかろう。かといって、二十歳や三十歳くらいの青年期では、酢加減がどうの、まぐろの本場物《ほんばもの》、場違い物などとみてとれるはずがない。善《よ》かれ悪《あ》しかれ、なんでもかでもうまく食える。大方《おおかた》の青年層はふんだんに食えれば、それで大満足というわけだから、寿司屋《すしや》の甲乙丙《こうおつへい》はまず分るまい。寿司談義は小遣銭《こづかいせん》が快調にまわるようになり、年も四十の坂を越え、ようやく口が贅《おご》って来てからのことになる。
飯《めし》を少なく握《にぎ》れの、わさびを利《き》かせの、トロと中トロの中間がよいのというようになって来るのはこの頃からで、その連中は昔
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